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ATLから寛解したオカンの話④

2016.02.06 23:40

ATLから寛解したオカンの話③

からの続き

今思えば、オカンの病気が良い方向へと向かって行ったのは、

自分の状況を受け入れながら、

笑うこと
好きなことを我慢せずやること
いつでも夢を持つこと


これらを「実行」したからなんだと思う。

グーグルでいろいろと治療法や闘病記を検索しても絶望的な記事ばかりで、

この病気の治療の難しさを痛感。

孫をオカンに見せられないかもしれないと、私は超ネガティブになっていたわけです。

その時期8月の終わりで、テレビでは24時間テレビがやっていたのですよ。

ちょうどその日に奈良に帰省していて。

24時間テレビって毎回スペシャルドラマやるじゃないですか。

で、そのドラマはオカンの病気と似ている血液のガンを取り扱っていて、

オカンと状況が非常に似ている展開に、

ああ、オカンも最期はこうなってしまうんじゃないだろうかとボロボロと号泣して観た。

観ていられないという気持ちともせめぎあっていたのだけど。

そのドラマの翌日、またオカンの病室へ。

オカンはというと抗ガン剤の副作用で髪の毛は抜けてきていて、

薬の影響で、身体中にそばかすというか、

シミのような色素沈着がたくさんできていて真っ黒だった。

オカンは私と違って透き通るような色白だったのに。

が、私の肌と比べて、私の方が黒かったっていうオチ。 地黒万歳。

オカン「もー暇すぎて、24時間テレビのドラマ観ちゃったわー」

私「えええ……そんな状況やのによう観れるなぁ…」

オカン「やー、でもやっぱドラマやな! お母さんはあんな風に血なんて吐かなかったわー。 あれ、血小板が良くなかったのよ! 移植したってどうせ再発するんやから!」

君の心は鋼か。

ここまで振り切ったオカンの明るさを目の当たりにして、

私がネガティブになる必要も暇もないのだと、そう思わされたのである。

そして、オカンが入院して約3ヶ月。

血液の数値もだいぶ安定してきて、

入院の治療から通院での治療を目指すことになった。


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