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叱られないと愛情を確認できない人たち

本格的に指導という仕事も請け負って4年ほど経つ。
色々な生徒に出会ってきた。

いくら叱っても響かない生徒もいれば、
何も言わなくても吸収して勝手に成長していく生徒もいる。

その中で、ちょっと特殊な人たちと関わることがある。

「叱られることで自己承認欲求を満たしている人」と、
「自分はダメだと決めつけることで自己を確立している人」である。

どちらも、「自己コントロールができない」という共通点がある。
すなわち外部からの支配によって生きている人だ。
そんな私もそちら側の人間だったのですけども。

叱る側の人間(例えば、親や先生など社会的な立場が上の人)が、弱者を支配するために一番簡単なことは「自尊心を潰す」ことです。
最初、人間は自分以外の第三者によって存在を認められる生き物なので、
多感な子供の頃に「お前はダメだ」と言ってしまえば、結構簡単に潰れます。そしてその言葉は長く続く「呪い」にもなります。

最初に「ダメだ」と結論づけてしまうと、そこから良い方向に改善していくことはなかなか難しいことです。「自分はダメだから……」と考えることをやめてしまいます。そして「支配されることで自分は生かされているんだ」と感じるようになります。そうすると自ら支配されに行っちゃうんですよね。だって、そのほうが楽なんですもの。

そして、私がこの問題で一番厄介だなと思っていることが、
支配を愛情だと信じてしまうことです。

「私のためを思ってこんなキツいことを言ってくれてるんだ、だから私は愛されてる!」

んなわけあるか! とツッコミしたくなりますが、
人間の思考は結構単純だったり、嫌なことはできるだけ考えたくない生き物です。

「叱られないと自分を確立できない人」は、
大抵は幼少時代、思春期の時期に何かしらの強い支配を受けているように感じます。

とある生徒は「たくさん叱ってください」とLINEしてきました。
普通ならマゾだなぁくらいの感覚で受け止めるかもしれませんが、
逆に「叱られないと自分で何もできない」ことを宣言しているようなものです。

20年前ならこの感覚でもまだ通じたかもしれませんが、
今は、自分で考えて行動しないと生きていけない時代になっています。

もちろん叱られることは「とてもありがたい事」ではあるのですが、
叱る側のアンガーマネジメントが正しいか、叱られる側のスタンスが歪んでいないか、どちらも考えなくてはいけない事だなと感じています。
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