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習慣をやめることが難しかった話

実は事情があってTwitterなどのSNSのつぶやきを3日間ほどやめてみた。
以前、私は一度Twitterのアカウントを消したことがある。
いわゆる「SNS疲れ」というやつ。
前回は自分から「疲れたからやめる」という明確な理由があった。
しかし、今回はちょっと事情が違う。

とはいえ、今回の事情は「仕方ないな」と思うところが多く、
頭では納得していたのだけども、
「予定にないこと」だったこともあって、
心で納得することができずモヤモヤしながらの3日間だった。

私は決して一人で生きているわけじゃないし、
いろんなものを守らなくちゃいけない立場だし、
いろんなものから守られている立場でもある。

SNSの使い方を間違ったこともある。
世の中のいろんなことを私は「間違えて」覚えてきた。
間違えては怒られ、また間違えては怒られ、
人よりも少し遅く修正するような人間だ。

無機質な文字を伝えることは非常に厄介で、
繊細に言葉を選ばなくちゃいけない。
「伝える先に誰がいるのか」を考えて発信しなければならない。

3日間つぶやきをやめてみたら、
「SNSへの依存」と、
「文字にすることで得ていた心の平穏」を知ることができた。
つぶやけない、書けないことのストレスが非常に強かった。

ああ、息子がこんな面白いことを言ったから、つぶやきたい!
道端でこんな面白いことに遭遇したから、つぶやきたい!
共有したい!

別にRTも、いいね!も欲しいわけじゃないのです。
バズりたいわけでもないし。
(もちろん、していただけるのはありがたくて嬉しいです)

ですけども、私のSNSでの発言は「共有したい」の気持ちそれ以上、それ以下でもないのです。
ただ、文字にすることで、自分の考えていることが整理されて、
新しいことを考えられるようになると思っていて。

TwitterもInstagramもFacebookも、道具(ツール)なので、
使う人間がどうするか次第なところはあると思います。
SNSがこれだけ流行る、スタンダードになるということは、
人間本来が持つ「欲」に寄り添っているからだと思います。

そんなことに気づいてしまい、
3日間つぶやきをやめてみたけども、
出た結論は、

今まで以上に情報に慎重になりながら、スタンスは変えずつぶやく

ということにしました。
SNSで繋がった人間関係もあるしね。
もちろん、慎重に。

もっと色々と語りたいことはあるけれど、
今日はこのあたりでおしまい。
(1000文字)

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