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コンプレックスと戦う日々

先日、為末大さんのツイートでこんなことが書いてあった。

何を隠そう、私はコンプレックスの塊である。
日々、コンプレックスが増し、
鏡に映る自分の姿を見て、億劫になる。
人に「全部に自身がありそう」と言われたことがあるけど、
とんでもない。
毎日、毎日、強いコンプレックスと戦っている。
簡単に言えば、昔から自己肯定感が低すぎるのである。
むしろマイナスじゃないかというくらい低すぎるのである。

一番最初にコンプレックスなった部分は顔である。
とりわけ写真。
写真を見た親族たちは私に言った。


「なんで純の写真はけんちゅう顔(不機嫌そうな顔)ばっかりなの」


私は別に不機嫌だったわけではない。普通の顔をしていただけだ。
しかし、私から見ても自分の写真は「可愛くなかった」のである。
結果どうなったかというと、小学生の卒業アルバム写真はほとんど写っていないという状態だった。
カメラのレンズを見つけては逃げていた。

それでも、写真を撮られる機会は増えて行く。
とりあえず、笑顔の練習をした。
なんとか自分の中で「最低合格ライン」の笑顔で写真を撮られるくらいには慣れた。
実は今でも、写真を撮られる時はハラハラする。
私がSNSに自撮りをアップしているのは、相当な勇気だと思っていてほしい。

そして、世の中のあらゆるものをマイナスで見る能力がとても高い。

普段の喋りが拙いから芸に昇華できないのだが、
私は人間的なひねくれ度合いで言ったら、
南海キャンディーズ山里亮太、ハライチ岩井勇気と肩を並べられる自信がある。
私の仕事が声優というものでなかったら、今頃はTwitterで炎上したり、いわゆるクソリプをしまくるような人間になっていただろう。
私にイラストの才能があったらなら、アイコンはイラストにしたかった。
(しかしそんな能力は神様は与えてくれなかった)

とはいえ、20代の最後で大病をして死にかけたので、
心を改めて今は物事をマイナスで見るようなことは激減した。

冒頭のツイート引用にもあるように、
強いコンプレックスは原動力になるのだ。
素晴らしいインクレディブルな負のパワー。
私が20代をしゃかりきに頑張れたのは、この負のパワーのおかげなのである。
「もっとやらなきゃ…」と自分を奮い立たせることができるのだけど、
自分の目標が達成されたその後、やはり為末さんが言うように、
コンプレックスの扱いには注意が必要である。
それを凌駕する得意なことがいいタイミングで花開けばいいのだけど、
人生何十年とかけて染み付いてきたコンプレックスはなかなか拭えないのである。
(1053文字)


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