地下鉄の揺れるリズムで
スカートのEP『Extended Vol.1』はとにかく新しいスカート満載。曲やアレンジ、演奏メンバに大きな変化を見せないままで音楽家としてのキャリアを積んできたのに、実はこんな引き出しもあったのか、拡張ポートもこんなに、と私は全力で驚いた。全ての曲で驚いた。今からでもCDで出して欲しい。
さて。EP1曲目の「地下鉄の揺れるリズムで」では、ピチカート・ファイヴの「陽の当たる大通り」の歌詞にある「アステアみたいにステップ」が文字どおりカッコ付きで引用されている。
これ、単に好きなフレーズをリスペクトを込めて使った、ってだけの話じゃないよね。歌詞全体というか、サウンドも含めたこの曲の心みたいなものが、「アステアみたいにステップ」によって明らかに高揚してると思う。
曲の前半では
と歌っていて、そして居場所のなさを思い知って茫然と立ち尽くす。こういう感じはとてもスカートらしい。
それが後半では
になっている。他にも
なんて珍しいほどに前向き。踏めないってわかってても、あえて踏む日は来るのさ!って歌ってくれるのが嬉しい。
なお、ピチカート・ファイヴの「陽の当たる大通り」に対して、スカートは(陽の当たりようがない)地下鉄の車内。ああそうだ、この対比、前にもあったぞ。
スカートの「さよなら!さよなら!」という曲、ピチカート・ファイヴの「悲しい歌」を参照して書かれたんだけど、そこでは
って歌ってた。これもおそらく「陽の当たる大通り」を踏まえたフレーズだよね。
裏通りと地下鉄。字面からすれば地下鉄の方がアングラ感があるけど、目的地には向かっているし、いずれ地上に出るし、他に乗客もいるし、さびしさは感じない。
あと、澤部さんの書く歌は、〈わたし〉も〈君〉も自分の内部にいて、自分自身に向かって歌ってるように感じることも多いけど、「地下鉄の揺れるリズムで」は、外にも向けて歌ってるような印象。外を向くことができたのは、やっぱり「アステアみたいにステップ」の効果なんじゃないかな。
澤部さんの書くさびしくて少し悲しい歌、本当に好きでこれからもたくさん聴きたいけれど、今回のような曲もあるからこそ、さびしさ悲しさに溺れてることなく、さびしさ悲しさをより愛おしく思えるような、きっとそんな気がする。
さあ、試しにちょっとだけ浮かれてみませんか。ほんの10cm、ジャンプしてみませんか。
蛇足かもしれないけど、この「地下鉄の揺れるリズムで」にはものすごくキリンジを感じる。(他の人に比べれば控えめではあるけれど)普段より高揚した気持ちのちょうどいい着地点に、キリンジを思わせるような言葉選びや四分打ちポップ(そんな用語ある?)があったのかも。嬉しいです。王道の延伸に最も誠実に取り組んでいるのはきっとスカートだ。
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