アイマイモコ


眠たい。

なかなかに眠たい。


今、この文章を書いている現時刻は午前4時である。


少し前に1時間ほど眠ってしまっていたので、この時間まで起きているわけである。


とはいえ、僕はこの時間帯まで起きている日も多くある。



人間には朝型タイプと夜型タイプの人間がいるらしい。

僕は完全に夜型の人間だ。


朝にはかなり弱く、夜になればなるほどより頭が冴える仕組みになっている。


元々、低血圧でほとんどの確率で寝起きに頭痛がする。

時間が経つと次第に収まってくるのだが、それまではほとんど頭が回らない。

ひどい時には、3時間経ってもはっきりと頭が回らない感覚がすることもある。


細かく言えば、起きる時間帯によって変わるものだろうが、僕は寝る前の5~1時間前辺りに最も頭が回る。

それに加えて、日中よりも夜の方が頭が回る。


ゆえに、僕は生粋の夜型タイプだろう。


なぜか、夜の方が得意なのだ。

別に、夜が好きなわけでは無い。


小さい頃は、本当に夜が嫌いだった。


昼間と違い暗くてよく見えないし、ちびっ子の僕にとって夜はただただ怖い時間帯だった。

ましてや、夜は泥棒が出る時間帯だと思い込んでいたので、僕の部屋の隣にある真っ暗な物置部屋が本当に怖かった。


暗い空間が怖かったので、寝る時は部屋の電気を最も明るくしたまま寝ていた。



そんな幼き僕であったが、いつしか夜への恐怖心は無くなり、むしろ夜を主戦場として生きるようになっていた。



特に、昔と違って考え込む性格になってからは、断然夜が得意になった。

得意というか、圧倒的に夜の方が思考が捗るのである。


日中というのは、様々な情報で溢れかえっている。


街を歩いていても多くの情報が目に入るし、活動している人が多いために連絡のやり取りも多くなる。


しかし、夜になるとそもそも暗くてよく見えないし、起きている人も少なくなるので、いろんな情報量が激減する。


周りからの情報が入ってこなくなるその分、自分という存在がより濃く感じられる。

なので、考え事をするために自分自身と向き合いやすくなるのである。


「朝は自律神経が整う時間帯なので、クリエイティブな活動をすべきである!」という記事などをよく見るが、僕にとっては到底信じがたい。


もちろんそういう人もいるだろうし、むしろそういう人の方が多いのだろうが、「いや、何を言うとんねん!嘘つくなボケが!」とその記事に癇癪を起こしたことのある読者がいたら、ぜひ夜にクリエイティブな活動をしてみて欲しい。



と、まあくだらない雑談はこの辺にして、今回の議題は「夢」についてである。


追い求めるタイプの「夢」ではなく、寝ている時に見るタイプの「夢」である。


僕は寝ている時にあまり夢を見るタイプではない。

2~3週間に1回見るくらいだと思う。

そもそも一般的にどのくらい見るものなのか分からないが、恐らく多い方ではないと思う。


だが、夢を見る時は、その8割くらいが”明晰夢”なのである。


明晰夢(めいせきむ)とは、睡眠中夢を見ている時に、自分で「あ、これは夢だな。」と自覚をしながら見ている夢のことである。


そういうものだと思ってあまり気にしてこなかったのだが、ほとんど明晰夢を見るというのは珍しいタイプらしい。


色々調べていると、「明晰夢は最高の体験だ!」「明晰夢を訓練してみる方法は?」などいろいろと出てきたのだが、別に良いものでも何でもない。


僕がひねくれているからなのか、現実主義者だからなのか、僕は基本的に「あー、はいはい。夢ね。」と気づくと、全力で目を開けようとする。

意識的に起きようとするのだ。

すると、まぶたが開かない感覚が少ししてから、目が覚める。


夢なのだから好きなことをすべきだという意見もあるだろうが、逆に夢なので起きれば何ともないわけで、ただ面倒なので僕は何もしない。


ネットで「明晰夢だと空を自由に飛べる!」的な記事があったのだが、空を飛べたことはない。

そんな好き勝手にはできない。

ただ、大きな丸太で頭を強打されたが、まったく痛くなかったことはある。


ある有名な放送作家の方が、「嘘かほんとか分からない夢の話は芸人がすべきではない。」と仰っていたので、具体的な夢の話はこの辺にしておく。



が、問題は、最近明晰夢を一切見なくなったのである。



夢を見る頻度は変わらないが、普通の夢を見るようになったのである。

夢を見ている最中に一切自覚することなく、起きてからやっと夢だと気づくようになった。



この前は漫画のような、遅刻する夢を見ていて、目が覚めて今のはと夢だと気づいてほっとした、という夢を見た。

夜型タイプの朝に弱い僕は寝起きに全く頭が回らないので、起きた瞬間に大パニックになってしまった。


「あれ?夢?夢か・・・。あれ?さっき遅刻してなかったっけ?あ、それ夢やったんか。遅刻してなかったんか。あれ?いや、それが夢やったっけ?今は遅刻してんの?予定あったっけ?ん?これも夢か?いや、これは現実か?あれ・・・?」


これまでは寝ている時に夢だと自覚できたため、起きてすぐに夢だったと気づけた。

だが、それが自覚できなくなったために、起きた瞬間に夢か現実かの判断ができなくなったのだ。



明晰夢を見れなくなったことで、夢と現実の境界線がすごく曖昧になったような気がした。



とはいえ、そもそも僕は明晰夢至上主義ではない。


別に、明晰夢に対して、思い残したことも無い。

「サラバ、明晰夢!」くらいのテンションである。


というわけで、この感覚を利用して、これからは都合の悪いことがあったら、全部夢のせいにしていこうと思う。


嫌な出来事が起きても、「あー、悪い夢やったなぁ。」で済ませるということだ。


すごく良かった出来事から、急転直下に嫌な出来事になったとしても、逆に「あー、良い夢を見てたんやな。」と思えば、気持ちの切り替えが楽になるだろう。


渦中の某水泳選手に置き換えても、これまで積み上げてきた地位と名誉と女性を一気に失ったわけであるが、逆にこれまでの状況というものが”良い夢を見ていた”のだと割り切ることができたのならば、この先もまた歩みを始められるだろう。


嬉しい出来事だけ現実として受け入れ、都合の悪いことは夢に押し付ける。



現実主義者な僕があえて、はっきりとしないぼんやりとした曖昧模糊(あいまいもこ)な世界で生きていく。


1つの真実を追い求めるコナン君に対する一種のアンチテーゼでなのである。



メンタルが弱い読者のあなたも、嫌なことがあったら一度夢に押し付けてみてはいかがでしょうか。






水瀬


























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