闘争者たちの風景 -2021 F1アブダビGPにて


「残り11周だ、マックス」
無線を通して、レースエンジニアのジャンピエロ・ランビエーゼ(GP)が伝えてきた。
2度目のタイヤ交換をしてからほぼ10周。
削ったギャップは6秒。
ハミルトンとのギャップは12秒だ。
残り周回を考えれば逆転は絶望的な状況。
かすかに紫から濃紺のグラデーションが残るアブダビの夜景を背に、RB16Bを駆るマックス・フェルスタッペンの眉間に皺が寄る。

このレース、思い返せば、ケチのつきはじめはスタートだった。
「ポールからソフトタイヤの蹴り出しでハミルトンに先行、あとはトップのアドバンテージで頭を抑えつつ、早め早めのタイヤ交換で逃げ切りを図る」
これが唯一にして最良の戦略、のハズだった。
ところが、肝心のスタートをミス。
トラクションのかかりが悪い。
一方のブラックアローは抜群の加速でターン1を先に回った。
「最良の戦略」は初っ端で脆くも崩れた。
ターン6のインに強引に飛び込んだが、ハミルトンはエスケープゾーンに逃げ、さらにギャップを広げた。
「順位入れ替えるよね?あれ」
GPに呼びかけたが、「審議の必要なし」がスチュワードの裁定。
くそっ。
勝手にエスケープしてアドバンテージを得たくせに、「審議の必要なし」?

・・・そう、今シーズンはずっとこうだった。
スチュワードの連中はことごとくハミルトンに優位な裁定を出してきた。
開幕戦のバーレーンしかり。
ハミルトンのトラックリミットは取らなかったくせに、なんで俺だけポジションを返さなくちゃいけなかったんだ?
シルバーストーンもそうだ。
俺を病院送りにしといて、たった10秒のピットストップ?
失格でも足りないくらいだ。
その上レース後はユニオンジャックを振って大はしゃぎだ。
ハンガロリンクのボーリング。
モンツァのクラッシュ。
ジェッダだってそうだ。
あのリスタートだって、さっきのハミルトンと同じくやむを得ずエスケープしたのに、なんでグリッドダウンしなくちゃいけなかったんだ?
接触の件だって、俺はおとなしくポジションを譲ろうとしたのに。
アイツの抜き方が下手クソだっただけだ。
数え出したらキリがない。

今シーズンはテストから「いける」と思った。
フロア周りの技術規則の変更で「レーキエアロのレッドブルに不利」との予想もあったが、蓋を開ければ、新規則に手こずったのはローレーキのメルセデス。
ハイブリッド時代をほしいままにしたシルバーアローをついに引きずり下ろせると思ったものだ。
序盤こそもたついたが、チームとホンダが頑張ってくれたおかげで、モナコ以降は快調そのものだった。
バクーでピレリがヘマしなければ5連勝もできたハズだ。
一方で、メルセデスの連中は汚い手を使って俺たちの勝ちを妨害してきやがった。
PU、ウイング、ピットストップ、ヤツらより優れていたあらゆる点に難癖ををつけてきた。
そのくせ、ヤツらが俺たちと同じ様なことをしてもお咎めなしだ。
それでも、北米で流れを引き戻せたと思ったのだが・・・

ハミルトンが5基目のPUを持ち出したブラジル。
あれから完全に流れが変わった。
「ここで勝てば、残りのレースはハミルトンに付いて行くだけでいい」
連中のおかしなリアウイングにちょっと触れただけで、法外な罰金を取られはしたが、スタートも先行して、逃げ切りを図れば良いだけのハズだった。
だがあのスピードはなんだ?
まるで違うリーグのマシンみたいだ。
コスト削減のためのPU基数制限なのに、アイツらなりふり構わずロケットエンジンを突っ込んできやがった!

あれ以来、黒い連中との勝負は負けが込んだ。
1つも土をつけられずに臨んだこのレース。
不利な状況とはわかっていたが、ポールを取って望みを繋いだと思ったのに・・・
いや、あのQ2、ミディアムタイヤにフラットスポットを作った時点で、嫌な予感はした。
そういえば、ジェッダでもQ3、最終コーナーでヘマしたところから流れを手放しちまったな。

そう。
今年は「ハズ」が多かった。
勝負に「タラレバ」はないというが、その「ハズ」のほんの少しでも現実になっていれば、すでにチャンピオンは決まって・・・少なくとも余裕をもってこのレースに臨めたのに。

やめよう。
過去を思っても取り戻せはしない。
レーサーは先のことを考え、相手よりも先手を打たなければ。
チェコがハミルトンを抑え、さっきのヴァーチャルセーフティーカー(VSC)でチームがタイヤ交換の判断をしてくれたおかげで、まだ首の皮1枚繋がっているようなもんだ。
ハミルトンのハードタイヤは相当タレているに違いない。
それにこのギャップでは、ヤツはフリーストップできない。
あとは、なにか起きてくれないか・・・

「ラティフィがクラッシュ。ターン14だ」

GPが呟いたのは53周目、レースも5周と少しを残すところだった。



白と青のツートンカラー、リヤカウルがゼブラ模様のウィリアムズが、ターン14を超えたあたりに横向きに止まっていた。
イエローフラッグによる速度制限の中、デブリに注意しつつ横切りながら、ルイス・ハミルトンはかぶりを振った。
「くそっ、マジかよ・・・」
せっかく築いたギャップが台無しだ。

このレース、今シーズン1番と自賛できるスタートでフェルスタッペンの鼻っ面を抑え、常に有利な展開で進められた。
やつがQ2でソフトに換えた時は「レースで優位に立つために故意にやったのでは」と勘繰ったが、それもこの展開で杞憂に終わった。
そもそも、このコースでレッドブルのマシンはセッティングが決まっていないようだ。
持ちの悪いソフトタイヤに滑るマシン。タイヤのへたりは早いだろう。
一方、サンパウロ以来ウソみたいにどのコースにもフィットする我がメルセデスW12は、ここヤスマリーナでも好調だ。

開幕前のテスト、らしくない不安定な挙動の新車に暗澹たる面持ちになったが、レースでは敵失と強運でなんとか食らい付いてきた。

バーレーンでは、戦略とそれを完璧に遂行する自らの腕で勝利をもぎ取った。
イモラでコースオフしウイングを壊した時は真っ白になったが、僚友と育成の凡ミスで命拾いした。
ただ、イベリア半島で流れを掴んだかと思ったが、モナコ以降、あのオランダ野郎にいいようにやられたな。
こっちが避けてやっているのいいことに、アイツはコース上を跳梁跋扈しやがった。
だがそういつもやられっぱなしじゃない。
シルバーストーン。大事な母国戦では引けない。

それにしても、フェルスタッペンは本当に無茶しやがる。
イモラの1コーナー、シルバーストーンのコプス、メキシコの1コーナーに、ジェッダのリスタート、そしてブレーキテストもだ。
おまけにモンツァの1コーナー。
アイツの右リアに殺されるところだった。
あんなのレースじゃない!
まぁアレがアイツの強みでもあり、弱点でもある。
目先の順位に気を取られて「レースを拾う」ってことをいまだにわかっちゃいない。

そういう俺も、今シーズンはらしくないミスが多かったな。
イモラのコースオフもそうだが、バクーのブレーキマジックもいまだに信じられない。
ハンガロリンクのリスタートも・・・アレはレースエンジニアのボノが判断ミスしたせいだ。
にしても、俺としたことが、そろそろ焼きが回ってきたか?

いや、強運は今年も健在だったな。
イモラの赤旗もそうだが、ハンガロリンクでもバルテリがレッドブルの連中を屠ってくれた。
ソチでも、ノリスの判断ミスで勝ちが転がり込んできた。
極め付けは終盤の我がチームの盛り返しだ。
ファクトリーのみんなが知恵を絞ってくれたおかげで、PUが文字通り生き返ったじゃないか。
まるで最初から計算してたかの様に、最終戦を前に、ついにポイントで追い付いた!
コンストラクターズランキングはもう心配ない。
後は、アイツの前でゴールするだけ。
こんなにエキサイティングなシーズンはいつ以来だろう?
不運とニコの心理戦にやられたあの年以外、ハイブリッド時代はすべて俺が戴冠してきた。
今年も、そして引退するまで、F1は俺のもの。
俺こそF1の王だ。

エクスタシーにも似た高揚に浸りながらチェッカーフラッグに突き進んでいた53周目。
まさかメルセデスPUのマシンが俺の道を塞ぐとは・・・
ハミルトンは苦々しい思いでターン15を通過した。

「ピット入らないの?」
「入らない。」とレースエンジニアのピーター・ボニントン(ボノ)。
「後ろの状況は?」
「フェルスタッペンは入った。フリーストップだ。」
おいおい、つまり順位を落とさずに復帰したってことか?
「君が入ったら彼に抜かれていた。」
努めて冷静に伝えるボノ。
「君と彼の間に周回遅れが数台いる。事故処理に時間がかかっているし、このままチェッカーだろう」
本当かよ・・・
自分のコントロールを離れつつある状況に不安が増していくのを感じながら、ハミルトンはボノの言葉に従うしかなかった。



VSCが出る場面はあったものの、レースは比較的穏やかに進行していた。
このまま何も起きなければ、メルセデスとハミルトン、それぞれ8度目のタイトルが決まる。
中盤戦まではレッドブルが優位に進めてきたが、後半に入って盛り返してきたメルセデスが、ついに終盤の主導権を握った。
これが巨大メーカーの底力か・・・
感嘆とも呆れともつかない思いを抱きながら、レースディレクターのマイケル・マシは、まるで定められた1点に集約していくかのような戦況を見つめていた。

そんなアブダビの宵を破って、53周目のクラッシュは起きた。

ターン14の先、コースの右半分を塞ぐ形でウイリアムズのカーナンバー6、ニコラス・ラティフィのマシンが横向きに止まっていた。
一見したところ、前後のウィングは破損しているが、モノコックにダメージはなさそうだ。
マーシャルポストも近く、撤収は早く終わるのではないか?
ダブルイエローからVSCで作業時間を稼ぎ、残り3〜2周でレース再開。
とにかくレーシングラップでのチェッカーが基本線だ。
できればセーフティーカーランは避けたい。
でなければ、シルバーアローの代表が何と言うか?

そんな楽観的な予測は、ドライバーの降車後、ホイールから出た炎に打ち消された。
すぐに消火剤がまかれた。これでは早期の再開は無理だろう。
小さくため息をつくマシ。
仕方なく、セーフティーカー(SC)をコースインさせる。

競技規則39条12項の通りなら、すべての周回遅れが先頭車両を追い越した次の周にSCがピットイン。さらに次の周にレース再開。
つまり、SCの終了に2周、レーシングラップを含めるとチェッカーフラッグまでに3周は必要だ。
おそらく、今の作業状況で撤収後に3周確保するのは難しいだろう。
通常手順でのレース再開は諦めよう。
とすると、周回遅れを挟んだままレース再開。
もしくはSC先導でチェッカーフラッグ。
いや、それだけは避けたい。「レーシングラップでのチェッカー」は参加全チームの合意だ。
なにより、生中継を通して世界中のファンが見ている。
つまらない終わらせ方をしたらどうなることか?
リバティの連中も黙っちゃいないだろう。
となると、隊列を整えずにレース再開だ。
ドライバーには悪いが、現時点で1番公平な判断はこれだろう。
アブダビ特有の熱気を余韻に、残りのレース手順を想定するマシの額には、うっすらと汗が滲み出ていた。



「レーシングラインを走ってくれ。周回遅れが追い抜きを許可された。
いや、すまない。周回遅れは追い抜きを許されない。」
GPの無線にフェルスタッペンは嘆息した。

セーフティーカーランになってすぐさまピットイン。ソフトタイヤに交換してピットを飛び出し、フリーストップでコースインできた。
一方のハミルトンは、こちらとのギャップがピットストップウインドウに足りず、40周走ったハードタイヤでコースにとどまった。
しかし、彼との間に5台の周回遅れが挟まれた。

通常ならレース再開に2周は必要だ。
おそらく事故車の撤収が終わるのはこのラップ。
残り2周では、SCがピットインして、さらにコントロールラインを超えた瞬間にレース終了。
それでは意味がない。
であれば、周回遅れを挟んだままレース再開をする方がまだマシだ。
ただ、いくらブルーフラッグで抜けるにしても、その間にハミルトンはギャップを広げるだろう。
レース再開がファイナルラップなら、このギャップは厳しい。

「そうかい、典型的な判断だね。」
フェルスタッペンは諦め気味に返した。
「いつも通りだね」GPも応える。
「別に驚かないよ、ハハッ」
せっかく開きかけ、うっすらと光が差した扉が再び閉まりつつあるのを感じて、フェルスタッペンは力無く笑った。



「なななんで周回遅れを前に出せないの??」
壁面にかけられた複数のコンソールに目配りするマシ。
そのヘッドホンに、レッドブルの代表、クリスチャン・ホーナーが食い気味に呼びかけてきた。
そらきた、うるさいチーム代表どもめ。
「クリスチャン、先に事故車の撤去を済ませたいんだ。」
マシは返した。
今シーズン、近年稀に見る接戦を繰り広げてきたレッドブルとメルセデス。
その代表たちも、自分たちに優位な裁定を引き出そうと、ことあるごとに横槍を入れてきた。
レースディレクターやスチュワードに対する直接的、間接的圧力。
メールを送りつけてはチェックの要求。
先のジェッダ、レッドフラッグ中の「オファー」に味をしめたか、ここアブダビでも過剰なロビー活動を展開した。
先程のVSCの際、「SCは入れないでくれ」と要求してきたメルセデスの代表、トト・ウォルフもそうだ。
これではどちらがレースディレクターかわからないでなはいか。

このクラッシュを、SCなしで処理しようとしていた目論見が崩れた瞬間から、マシは焦り始めていた。
その根本は、「競技規則に沿った、レーシングラップでの終了」を完遂するには微妙に足りない残り周回が原因だ。
このままではどう転んでもどちらかに不満が残る。
クラッシュ後、すぐにレッドフラッグにすべきだったか?
それも時すでに遅し、だ。

「俺たちはたった1周レースができればいいんだよ。」畳み掛けるホーナー。
レッドブルのチームマネージャー、ジョナサン・ウィートリーまで口を挟んできた。
「追い越しさせた周回遅れは隊列の後ろにつかせる必要はないよ。
追い越しさえさせれば、俺たちはモーターレーシングができる。」
「わかった。時間をくれ」
気圧される様に応えるマシ。
混乱気味の頭で再び整理する。
通常のレース再開はもはや不可能。
かといってこのまま周回遅れを挟んでのレース再開は、レッドブル陣営に不満が残る。
ではどうする?
そうだ、ハミルトンとフェルスタッペンの間の周回遅れだけ追い越しさせよう。
全ての周回遅れを追い越しさせるには時間が足りないが、これで少なくとも彼ら2人だけはレースができる。
現時点で下せるギリギリの判断だろう。

マシ自身はベターな判断ができたと感じた。
これが、シーズンオフにいたっても収束しない大問題に発展するとは想像していなかった。



「周回遅れを前に出す様だ」
ボノが伝えてきた。
どいうことだ?
「君とフェルスタッペンの間の5台だ」
ハミルトンの右を周回遅れが追い越していく。
「SCはこの周で終了だ」
ハミルトンは耳を疑った。
待ってくれよ。
セーフティーカーランのままレース終了するんじゃなかったのか?
少なくとも残りはこの周を含め2周。
通常の手順でのレース再開は不可能だ。
それが、俺とヤツの間の周回遅れだけ先行させて、この周でSCがピットイン?
つまりファイナルラップでガチンコのスプリント勝負をしろ、と?
しかも、俺が履いているのは40周以上走った使い古しのハードタイヤ。
ヤツのは数周前に換えたばかりのソフトタイヤだ。
この状況でレース再開すれば、どちらに有利か火を見るより明らかじゃないか。
レースディレクターは状況をわかっているのか?
ハミルトンの思考は白くなりかけた。

落ち着け。
まだ終わったわけじゃない。
なんとかフェルスタッペンより前でチェッカーを受ける方法を考えるんだ。
ズルズルのタイヤでヤツの攻撃を防ぎ切れるのか?
いや、ブレーキング勝負では勝ち目がない。
それよりタイヤの負担が比較的少ないストレートと高速コーナーの方が勝負になる。
1度前に行かせて抜き返す。それしかない。
抜かせる場所、抜く場所が肝心だ。

「ストラット5、オーバーテイクボタンを使え」
ボノはあくまで冷静だ。
消え入りそうになる勇気を絞り出すように、ハミルトンはステアリングを強く握った。



「ベッテルまでのドライバーが追い抜きを許可された」
GPが伝えてきた。
どういうことだ?
「SCはこの周で終了だ」
フェルスタッペンは耳を疑った。
残り2周、本来ならSCチェッカー、でなければ隊列を整えずにレース再開。
それが、ベッテルまでのドライバー、つまり俺とハミルトンの間の周回遅れだけ先行させて、しかも次の周でレース再開?
そんな形で再開すれば、どちらに有利かは誰の目にも明らかだ。
本当にいいのか?

閉まりかけた扉が、突然大きく開け放たれた。
なぜそんな判断が下されたのか理解できないが、とにかく状況はこちらに圧倒的に有利だ。
むしろ、これを拾えなければ、逆に俺の評価は地に落ちるだろう。
ぶら下げられた人参には確実に食い付かなければ。

「モード1、ストラット1だ」
 GPは冷静に設定変更を指示してきた。
「必要ならブレーキバランスを調整してくれ。あとは任せた。」

目の前のハミルトンが、止まりそうなくらい速度を落とす。
フェルスタッペンも抜かない様にブレーキペダルを踏む。
ターン13でハミルトンが一気に加速した。
ほぼ同時にフェルスタッペンもアクセルを踏んだ。
ターン14の消火跡を巻き上げながら、わずか4メートルほどの車間も開けずに、2台はターン15、そして最終コーナーに突っ込んでいった。



「混乱の中、セーフティーカーはこの周で終了。
3.2マイルのレースの後、チェッカーが振られます!」
アナウンサーが叫ぶ。
マシンが一斉にコントロールラインを駆け抜けた。
スタンドも騒然としている。
「フェルスタッペンが初のワールドチャンピオンになるのか?
それともハミルトンが8度目のチャンピオンになるのか?
フェルスタッペンはどこで仕掛けるか?
最初のオーバーテイクゾーンはターン5!」

なだらかに蛇行するターン2、3、4を抜け、短いストレートに入る。
ターン5の手前、ハミルトンがイン側を空けると、フェルスタッペンがすかさず飛び込む。
クロスライン気味にコーナーを旋回。
フェルスタッペンが先に1本目のバックストレートに入った。

「フェルスタッペンがチャンピオントロフィーを引ったくった!!」

ストレートで大きくウィービングするフェルスタッペン。
「レコードラインに戻るんだ!」
注意するGP。
DRSは使えない。
であれば次のストレートでトラクション勝負だ。
フェルスタッペンはやや大回り気味に、ハミルトンは立ち上がり重視で慎重にシケインを抜けた。

「違うってマイキー!こんなの絶対に間違ってる!」
トト・ウォルフが無線で叫ぶ。
「イカサマだろ!こんなの」
呼応する様に声を荒げるハミルトン。だが思考は鮮明だ。
バックストレート2本目、フェルスタッペンの後ろにピタリとつけた。
フェルスタッペンはコースの左側に張り付いて駆ける。
「オーバーテイクボタンを押し続けろ!」
GPが言う。
緩やかに左に曲がるストレートの後半、スリップストリームを援護にハミルトンが右から仕掛けた。
タイヤが当たらんばかりに横並びになる。
サイドバイサイド。その差はゼロ。
アクセルをベタ踏みする2人。
ストレートエンドが迫る。

インを押さえていたフェルスタッペンが、高速コーナーに改修されたターン9へ先に飛び込んだ。
勝負はついた。

「幾多の物議とドラマを紡ぎ出した、2021年のフォーミュラ1チャンピオンシップも遂にゴールを迎えました!」
絶叫するアナウンサー。
「メルセデスは苛立ち、レッドブルは歓喜!
甲乙つけがたいほどに素晴らしかった2021年のチャンピオンシップ争い! しかし、勝つのは1人!それはオランダ人になりそうです!」

痙攣する右足でアクセルを踏み、最終コーナーの出口でリアを滑らしながら、フェルスタッペンはフィニッシュラインを駆け抜けた。



「なんてこったマックス! なんてこった!」
無線の向こうで叫んでいるのはアルボンだろうか。
「よっしゃーーーーーーーーー!!!!! マジかよ! ハッハッハァーーー!」
フェルスタッペンも絶叫する。
「マックスフェルスタッペン。君がチャンピオンだ!ワールドチャンピオンだ!」
ホーナーが宣言する。
「やったな! マグレなんかじゃない。君こそチャンピオンに相応しい!」
アルボンが重ねる。
「充電をオンにしてくれ。頼んだよ」
ここでもGPは冷静だ。
「君を誇りに思うよ。本当に誇りだ!」
ホーナーが祝福する。
「なんてこったみんな・・・愛してるよ。本当に愛してる。」
涙声のフェルスタッペン。
「今シーズン、君はチャンピオンに相応しい走りだったよ。
最後は幸運が必要だったが、それを掴み取ったのは君自身だ!
俺たちも君を愛してる。マジ最高に愛してるよ!」
ホーナーも感極まっている。
「信じられないよ・・・これを10年15年続けてもいいかい?」
フェルスタペンがおどける。
「もちろん、心からね」
GPが応える。
「フェイル84に設定してくれ」

「なあ・・・」
少し間を置いて、GPが再び呼びかける。
「シーズンを通して、アイツらはずっと君を引きずり下ろそうとしてきた。そうだろ?」
その通りだ。
コースの内外で、メルセデスとハミルトンはあらゆる手段で仕掛けてきた。
心が折れたことなど決してなかったが、それでも本当によく耐えてきたものだ。
「ファイナルラップまでそうだったね。」
フェルスタッペンが疲れた声で笑う。
「幸運のひと欠片。ほんのひと欠片だな。」
感慨深げにつぶやくGP。
いつになく感傷的だ。
「この瞬間を楽しんでくれ」
GPが優しく続けた。

4歳の時にカートを始めて以来、親父と文字通り二人三脚でやってきた。
F3からF1に飛び級で昇格した時、
「ガキがF1に乗るなんて危険だ」
古くさい連中はそう言ったが、腕で資質を証明してみせた。
レッドブルに昇格以降、毎年勝利を上げてきた。
「チャンピオンを獲ろうが獲るまいが、俺は変わらない」と言い続けてきたし、今でもその思いは変わらない。
俺が変わったんじゃない。
変わったのは周りの評価、俺を見る目だ。

それでも・・・
遂に登り着いた。
頂点に!
メルセデスと戦えるマシンとPUをようやく手に入れ、ハミルトンとの苛烈な戦い、自分ではどうにもならないアクシデント、妨害、プレッシャーを越えて、いま、俺はここにいる。
なんという高揚!
なんという甘美!
疲労と興奮がない混ぜになった世界で、フェルスタッペンは恍惚としていた。

夜空には無数の花火が舞い、スタンドは歓喜とも悲鳴ともつかない喧騒で満たされていた。


10
パルクフェルメにマシンを止めた。

どうやってここまで辿り着いたのか。
「言葉がないよ。全くかける言葉がない・・・」
ボノがかけてきた一言が、思い出されるだけだ。
ハミルトンは呆然としていた。

やられた。

すべてが完璧だった。
あのクラッシュまで。
いや、57周目に入っても、考え得る選択肢にあのリスタートはなかった。
それからほんの5分も経っていないのだ。
手にしていた勝利が、チャンピオンシップ・タイトルが、するりと抜け落ちた。
いや、強奪された。
だが誰に?
フェルスタッペン?
レースディレクター?
こんなことがあるのか?
あっていいのか?
いいわけがない!!!
停車後、微動だにしない身体とは裏腹に、ハミルトンの頭の中で何かが弾けた。

それでも・・・
俺は7度の王者だ。
たかが1度のタイトルを逃しただけだ。
アイツの戴冠を認めたわけじゃない。
だがスチュワードは1度決めた裁定を覆すことはないだろう。
それは彼らの、組織の根幹に関わる。
であれば、今は引き下がろう。
狼狽する姿を衆目に晒してはいけない。
本物の王者らしい立ち居振る舞いを示すのだ。

ハミルトンは静かにマシンを降りた。


11
「マイケル、ありゃ何だったんだ・・・?」
トト・ウォルフが問いかけてきた。
マシは諭す様に応答した。
「トト、これはモーターレーシングだ」
「?」飲み込めていないウォルフ。
「俺たちはモーターレーシングをやっているんだよ」
繰り返すマシ。
そうさ。
技術と情報が発達して、コース上よりもトラックサイドの重要性は増すばかりだ。
それでも、最後にレースの優劣をつけるのはのはドライバーの腕なのだ。
ましてやチーム代表がレースを運営しているわけじゃない。
そこを履き違えてもらっては困る。
レースディレクターは、俺だ。
外を見てみろ。
観衆は大歓声じゃないか。
俺の判断は正しかったんだ。
マシは上気していた。

しかし、ヘッドホンの向こうのウォルフは明らかに納得していない様だった。
数秒の無音ののち、無線が切れるプツリという音がした。


12
コース上に唯1人マシンを止めたフェルスタッペンは、迎えに出てきたメカニック達に駆け寄ると、抱き合い、勢い担ぎ上げられた。
親父と泣き合い、ホーナー、チェコと健闘を讃え合った。
パルクフェルメでは、マルコ、恋人のケリーに迎えられた。
ホンダの山本さんが日の丸を差し出してきた。
そう、この勝利は日本人スタッフたちも誇らしいだろう。
参戦終了を知ったときにはケツを蹴り上げたくなったものだが、最後の年にメルセデスと互角に戦えるだけのPUを用意してくれたホンダには本当に感謝だ。
計量をすませ、ドライバーたちの祝福を受けた。
通路に下がると、親父とひとしきり語り合った。

歓喜の時間が終わり、インタビューが始まろうかというとき、ハミルトンが近付いてきた。
互いに抱き合い、固い握手をする。
「おめでとう」
「ありがとう」
笑顔でかわす互いの目は、言葉とは裏腹だった。
(お前が勝ったんじゃない。運が、いや、裁定がお前に味方しただけだ。来年は叩き潰してやる)
(お前の時代は終わりだ。来年も勝って引導を渡してやる)

互いの無言の言葉が共鳴した。
(俺が王者だ)




フェルスタッペンとハミルトン、両雄がつばぜり合いを繰り返し白熱した2021シーズンのF1。
筆者の僕も一戦一戦を息を呑みながら観戦していました。
同時に物議を醸す出来事も多く、中でも極め付けは、やはり最終戦、アブダビGPのファイナルラップでしょう。
いまだにその議論は収束しないどころか、関連記事が出るたびに再燃する有様です。
シューマッハーのフェラーリでの戴冠を機に一度F1を離れたものの、ホンダの復帰、正確にはホンダがトロロッソにスイッチした2018年からF1観戦を再開した僕は、当然、フェルスタッペンの初タイトルが嬉しく、2ヶ月経ったいまも多幸感に包まれています。
一方、メルセデスファン、ハミルトンファン(またはクリーンなレースを望むF1ファン)にとっては、あの結果、というより裁定に到底納得できないであろうことも理解できます。
マイケル・マシのあの裁定は、本来ありえない、おそらくあってはいけないことだったと考えています。
ただ、あの裁定があったことで、アブダビグランプリの53周目のクラッシュからフィニッシュまでの出来事は、この上ないドラマを産んだのではないでしょうか。

御多分に洩れずバブルの頃のF1ブームに乗っかっていた僕が、20年近い時を経てF1観戦に復帰した理由は、大口を叩いて復帰したホンダがボロボロになって叩かれても、ダサくても、ファイティングポーズを取りチャレンジを続ける姿勢を見せたからです。
ホンダF1第二期、筆者はアンチホンダのマンセルファンでした。
1988年にF1を見始めた頃、すでにホンダは最強で、16戦中15勝もする、今で言えばメルセデスの様な絶対王者でした。
一方で、マクラーレンにホンダエンジンを横取りされても、果敢に最強王者に挑戦するマンセルは、ムラっ気のあるそのキャラクターも含め、応援しがいのあるドライバーでした。
一方、第四期のホンダは、勇んで復帰したはいいものの、マクラーレンとのコンビは泣かず飛ばずで、全方位からバカにされる始末。
特に、15年の鈴鹿の「GP2エンジン」発言は衝撃的でした。
「あんなに強かったホンダが何で・・・」という思いだったのは言うまでもありません。
そんな状況でも継続を選択したホンダは、かつて応援していたマンセルと同様に「応援すべき対象」と映ったのでした。

結局、僕がそんな彼らに求めていたのは「ドラマ」でした。
「ボロボロでも挑戦し続ける者が絶対王者を打ち負かす」
第四期のホンダにもいつかそんな日が来るのを待ちわびて、この4年間観戦を続けてきました。
20年の撤退発表は、それこそ「ケツを蹴り上げたくなる」思いでしたが、HRDの方々が渾身の力で強力なPUを作り上げ、2021年の白熱したシーズンを、そしてアブダビのあの出来事を産み出したと思うと、今でも目頭が熱くなります。
「最強王者に追い詰められた挑戦者が、最後に運を掴んで紙一重で初タイトルを奪取」
そんなドラマを想像し、熱に浮かされるように書き上げたのが上述のテキストです。
あの物議を呼ぶ出来事の中で、当事者がそれぞれどんなことを思い、考えていたのか、観戦した映像と各所にアップされている無線を基に想像し、書き出しました。
無線の内容とコース上の出来事は、意訳はあるものの基本的に事実に即していると思いますが(もし誤りがある場合はご容赦ください)、登場人物の心象風景は、推測を基にした筆者の妄想とお考えください。
いずれにせよ、普段文章など書くことがない僕が、衝動に駆られ書いた駄文ですので、拙い点は何卒ご容赦ください。
コース上、つまりドライバーと対になる存在として、トラックサイド、つまりホーナーとトトの心情ももっと掘り下げたいと思いましたが、無線の情報がイマイチ不足していましたので、マシとのやりとりとしてまとめました。
そのマシの心情も、メインの登場人物3人の中で一番掘り下げづらかったことは事実です。
ただ、あのような他人からは理解し難い行動、決断が、物議を呼ぶと同時に想像を掻き立て、それがドラマになるのだなと、改めて思った次第です。

なお、このテキストを書く際に念頭に置いたのは、かつてF1ブームの頃に隆盛を誇っていた雑誌「GPX(グランプリエクスプレス)」の、シーズンオフに発行される総集編(ハードカバーの立派な体裁でした)に掲載されていたエッセイです。
1989年の鈴鹿のシケインの出来事について、セナ、プロスト、それぞれの心情を想像して書き綴った、当然ながら作者の妄想が含まれつつも、読み応えのある内容でした。
僕は一度F1観戦から離れてしまい、関連アイテムの多くを処分する際にその本も捨ててしまいました。(当時のGPX自体はそこそこ残っていますが)
最近はあの様なF1当事者の内面をドラマ仕立てで綴った文章を、F1速報やネット媒体でも見かけることがありません。(インタビューがその役割を果たしているのでしょう)
F1観戦を楽しむいち手段として、あのようなテキストがあっても面白いのではないかという思いも、今回書いてみた理由の一つです。

なお、このテキストは、新情報が出てきた際など折に触れて修正するかもしれません。(基本的に筆者の中の「ドラマ」を補完する目的ですので)
お目汚しになったかと思いますが、ここまで読んでくださった方には、お付き合いいただき大変感謝いたします。

以上、誠にありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?