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いちごの配達


「今日23時頃ランニングする予定ある?」

「ないけど、どうしてもというなら」



「いちご買って◯◯までランニングする予定ある?」

「ないけど、どうしてもというなら」




Sから連絡が来たのは、21時半を過ぎた頃だった。

僕はその時家で1人、焼肉を食べていた。
わざわざ台所下の収納からカセットコンロを出して、窓を全開にして、決して上等とは言えない肉をにんにくたっぷりのタレの強烈な風味でごまかして美味い、と膝を叩いていた。



いちご。21時半。はて。

理由を聞くと、彼女は現在友人一行と遊んでいて、そのうち1人の誕生日ケーキを内緒で作りたいのだそうだ。けれどタイミングを逃していちごを買いそびれてしまったので困っている。だから僕にどこかでいちごを入手して、友人宅までこっそりと届けてほしい、と。
僕は思った。


なんそれ、と。


徹頭徹尾、計画性のかけらもないではないか。
遊ぶ家が誕生日を迎える友人の家じゃないなら、遊ぶ前からいちごを準備しておきなさいよ。遊ぶ家が誕生日を迎える友人の家なら、既製品のケーキでもこっそり買っておきなさいよ。
そもそも同じ空間にいてバレずにケーキを作ることは可能なのだろうか。そんなファニーなメタルギアソリッドがあっていいのか。いろいろ考えて、やがて僕は思った。


おもしろ、と。


人生でいちごを届けてほしい、と人に頼られることなんてこの先ないのではないか。しかも夜。夜にいちごを届けると、人はどんな気持ちになるのだろう。


無論10年以上付き合いのある友人の頼みであるということもあるが、GW初日の至福の時間を捨てるのもやぶさかではない、と僕は判断した。

あと、Sは気前がいいので、たまにごびっくりドンキーとか牛タンをご馳走してくれる。これは決して僕が卑しいからとかではなく、恩を売っておいて損はないのである。

ジャージに着替えて、まだ幾分煙くさい部屋を後にする。




いつも通うスーパーなのに、全然違う場所のように感じる。
22時を過ぎると、客層はバイト終わりと思われる若者や、小腹を満たそうとしている軽装のカップルが多いようだ。弁当はほとんど半額だった。いいことを知った。

いちごはスーパーの入り口すぐの場所に陳列されていた。規則正しく、トランプの絵柄の8みたいにきれいにパック詰めされているいちごだった。数えてみたら「▼」の方向で本当に8個入りだった。
改めて見ると、赤く輝いていて宝石みたいだな、と思う。パックの下に緩衝材がついているから、おくるみに包まれた宝石の赤ちゃんかもしれない。

レジの店員さんも普段見かけないないおじさんだった。
そしてそのおじさんからしたら、僕はわざわざ夜にアイスといちごだけを買っていく食いしん坊の甘党だった。

Sの友人宅へはスーパーから自転車で20分ほどかかりそうだった。
Sはランニングがてら、と言っていたが21時半から汗を流そうとアキレス腱を伸ばす人は少ないということを知ってほしい。


自転車に乗って風を感じるのは好きだ。
今日は長袖一枚でちょうどいいくらいの気温で、夜気は少しだけ湿っている。自転車のタイヤがアスファルトを弾く音と、一つ離れた車道で車が行き交う音。静かな夜だ。コインランドリーの前を通ると、洗剤が甘く乾いた匂いがする。この匂いめっちゃ好き。男子大学生とおぼしき二人組とすれ違う。どちらの髪型も韓国アイドルのようなセンターパート。最近の若者はスタイルがいい気がする。高架線の下に広がる暗闇から誰かがこちらを見てそうでちょっと怖い。クーリッシュは結局バニラが美味しい。営業時間が終わったツルハドラッグって久々に見たかも。街頭の並ぶ間隔の規則性は見ていて気持ちがいい。


五感で得た情報について、それぞれ2秒くらいだけ考える。自転車を漕いでいるうちに次々とまた別のことを感じて、浅く脳みそを回転させる。

将来の不安や、今まで悲しませてしまった人の顔を、少しだけ忘れることができた気がする。
Sのことも考える。


彼女とは高校生一年生からの付き合いになる。同じクラスだった。
最初は笑い声がうるさい小さな人、くらいの認識だった。
何かのきっかけで話すようになると、意外といいやつだとわかった。僕とSは伊坂幸太郎が好きだった。本を貸し借りするようになった。何かをこぼしてしまったのか、僕が貸した「アヒルと鴨のコインロッカー」がしわしわになって返された時は本気で嫌いになった。お詫びにと学校近くのモスバーガーでハンバーガーを奢ってもらった。モースバーガーはソースがうまい、と包み紙の底に溜まったソースをポテトにつけて食べようとしたら「卑しすぎる」と笑われた。





クラスメイトから「気になる存在」になったときには、Sは別のクラスのごつごつした岩みたいな男と付き合っていた。




岩男は男女問わず人望が厚く、そして「漢気」という言葉を体現したような人物だった。

彼は明るくまっすぐで、人を下げて笑いをとるような品のない男でもなかった。あまつさえ、僕よりずっと勉強もできた。周りには絶えず人が集い、彼の名前が挙がるときはいつもポジティブな話題だった。あまり話したことのない僕の誕生日にも、購買で森永の牛乳プリンとチキンカツをわざわざ買ってきてくれるような気前のいい男だった。彼はとてもいい奴で、僕と正反対の性質を持っていた。


劣等感に苛まれながらも、僕は心のどこかで「よかった」と思っていた。


でもSと僕はそこで疎遠になることはなかった。教室で会えばくだらないことを言い合ったし、本の貸し借りも続いていた。



学年が上がり、クラスも別々になった。いつの間にかSと岩男は別れていて、僕も彼女ができていた。お互いに別の人と付き合ったり別れたり、馬鹿にしたりされたりしていると、胸のとっかかりが全くなくなっていることに気がついた。


共に進学して、仙台で1人暮らしが始まった。大学は違かったが、なぜか家は近かった。社会人になってお互いに引っ越したが、なぜかまた家は近いままだった。


たまに連絡しあって夜にランニングをしたり、共通の友人たちと遠出をしたりキャンプをしたりした。夜中の3時にLINEをするとすぐに既読がついた。腐れ縁といえばそれまでだけど、僕にとってSは今も仲のいい友人の1人、否、いちごのお使いを急に頼んでもいいくらいの関係性なので、かなり仲のいい友人である。

結論を言ってしまうと、人は夜にいちごを届けるとちょっとセンチメンタルな気分になることがわかった。

ハンドルにぶら下げた買い物袋ががさがさと揺れる。


いまSはケーキを作っているのだろうか。空席の玉座を思い浮かべる。無論そこに座するべきは、マントと王冠を身につけたいちごである。
今届けるぞ!と、ややメロスの気持ちになりながら、自転車を漕ぐ足にちからを込める。僕は何かと走れメロスにたとえたがる節がある。




タイミングを見計らって取りにいくということで、友人宅の車の下にいちごを隠し、僕のミッションは終了となった。ヤクの売人みたい。すごくいけないことをしている気持ちになる。三人称視点になり、「complete」の文字が躍る。体力が20減り、友人レベルが1上がった。リザルトはS。報酬は。なんだろう、おそらく最後まで食べ損ねた分の焼肉を別の形でご馳走してくれるだろうか。

人を小間使いにしておいて直接労いの言葉もないとすると、+αでミニストップでハロハロを頼んでもバチは当たるまい。


一服して帰るか、とコンビニに寄ってスマホを見ると、いちごを回収したのだろうか(いちごを回収って今後人生で言うことないと思う)、本当に助かった、ありがとう、気をつけて帰ってね、お礼は今度必ず、と丁寧に感謝と労いの言葉が並んでいた。ハロハロは勘弁してやろうか。


Sはたぶん近いうちに、同棲している彼氏と結婚するだろう。
そうなったら本当にめでたいことで、心から祝福できる。彼氏さんも何回か顔を合わせたことがあり、いい人なんだろうと感じている。というか友達とはいえ異性と遊びに行くことを許可してくれる時点で心の広い人であることは確かだ。人を見る眼のあるSのことだ。これからのことを心配はしていない。


帰り道、僕は願わくば、これからもずっとSと友人でありたい、と思った。

いびつな感情の動きかもしれないが、夜にいちごを届けて、と無茶振りされたことで、かえって今まで積み重ねた友情の深さを認識してしまった。

Sは時に人を巻き込みながら、後先考えずに即興で楽しげな方向へ舵を切って転覆しそうになる節がある。がしかし、目的はいつも「人のため」である。
よく笑う、友達想いのいい奴なのだ。あと僕が元気がないとたまにびっくりドンキーとか牛タンとかを奢ってくれるのだ。やはり僕は、卑しい。



ふと気づく。「いちご」はストロベリーで、「配達」はデリバリーだ。
自転車を漕ぎながらストロベリー、デリバリー、と心の中で呟くと、思った通り語感が良くて少し嬉しくなる。もう一個何かくっつけたいが、今は思いつかない。


男女に友情は成立するのか。今まで数々の議論が飛び交い、また今も思い悩む人がいる、そして超がつくほどしょ〜〜〜〜もない議題だと思う。この手の話題が出るたびに思うのだが、男と女、主語が大きすぎではないだろうか。無理に視野を広げないで、目の前の相手を見てくださいよ。


少なくとも僕とSは、友達だ。


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