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スピリチュアルな学びに潜む三つの罠

 現代はスピリチュアルな能力を開発したい、より大きな力を得たい、スピリチュアルな勉強をして仕事にしたいという願望がたやすく叶えられる時代になっています。
 私も子供の頃から占いや不思議なことにとても興味がある子供だったので、大人になってから自然とスピリチュアルな学びに関する本を沢山読んだり、セミナーを受けに行ったりしました。しかし、のめり込んで学べば学ぶほどいろんな疑問にぶち当たるようになります。

 凄い力を持っているのに傲慢だったり、能力は素晴らしいけれど人としては尊敬できない人がいたり、お金にがめつかったり。一つのヒーリング法で解決しなければまた別のヒーリング法を学び行ったりなどもよくありました。
 そうしてスピリチュアルな学びのゴールとは一体なんだろう?と考えるようになりました。
 人生の問題の根本的な解決ってなんだろう?と考えたとき、スピリチュアルという視点ではどうしても難しいことに気づいたのです。そんな私が長いスピリチュアルな学びジプシーの中で、自分の求めている答えをくれるものを探してたどり着いたのがダスカロスのエソテリック・ティーチングでした。ダスカロスやエソテリック・ティーチングのことを書き始めると長くなってしまうのでここでは割愛します。エソテリック・ティーチングとは内なる教えという意味でイエス・キリストが説いていた愛と真理の教えのことです。

 私が真理の勉強を始めたのは、スピリチュアルという入り口から学ぶことには限界があると分かったことがきっかけでした。そして真理の勉強を続けていく中で世の中に出ているスピリチュアルな知識というのは真理の表層の一部でしかないことも分かりました。スピリチュアルな能力や学びを本当に深めたいのなら、神との関係を深め信仰心を育てることが必要不可欠だと気づきました。能力を高めるだけ、知識を増やすだけでは本当のスピリチュアルな面での成長はある時点で止まってしまうのです。

YouTube「シルディ・サイババ~神の顕現」より

 例えばカルマという単語を知っていても、ダルマについて知らなければカルマを良くないもののように勘違いしてしまいます。ダルマは徳を積むことで、カルマは過去生から引き継いできた学び終わっていない課題です。
 カルマは私たちが無知ゆえに発生します。本当に大切なことを理解していないから、自分や誰かを傷つけたり、苦しめる行動をすることでカルマは生成されます。
  カルマを解消すると、私たちの心に他者への理解や愛と平和についての理解が生まれます。そうするとシャンティ(平和)とプレマ(愛)を人生に創造していくことができます。そのような生き方はダルマを実践していることになります。
 真理を学ぶことは、自分のカルマを通じて神を知る方法でもあり、神とは何か?神はどのようにこの世界や命が創造し維持しているのか?と様々な疑問の答えを探求することです。

 神を信じず、スピリチュアルな能力だけに傾倒すると徐々に真理から遠ざかってしまう危険性があります。神は愛なので、神から離れれば私たちは愛からも遠ざかります。真理から遠ざかり、能力や権力、ステイタスなど自分の持つパワーに固執すると波動は重くなり、愛は限定的で利己的なものになります。
   真理から遠ざかるとは、大切な事を忘れて生活のため、心の願望を望むままに叶えることにエネルギーを浪費する生き方になることです。そうすることで神聖さは失われ、自分の中に起きている奇跡を知るチャンスを失ってしまいます。

 スピリチュアルな学びの場や集まりに行くと、嫉妬や羨望のエネルギーが多く渦巻いている事がよくあります。
 それは強い力や高い能力をに対しての憧れや羨ましさだけでなく、
どんな暮らしをしているのか?
お金ををたくさん持っている裕福な人なのか?
見た目やパートナーの有無など、
同じ場にいる参加者同士ありとあらゆる点において、自分よりも優れている人か劣っている人か、恵まれているか恵まれていないかの選別が無意識に発生しているからです。

 また、スピリチュアルな学びへの最初のきっかけが自分や大切な人を癒やしたり、苦しみから救うためだったのが、気がつけば自分の願望を叶える手段になり、狭い認識の中でスピリチュアルなことに熱中してしまうこともあります。
 特に他者に憧れることは自分の人生の調和を崩す危険性があることに注意しなければなりません。
 本当に癒やされている人は自分の中に不足感を感じません。自分の中にある癒やされていない感情や欲望を野放しにすると、人は感情的で我が儘な傾向を育ててしまいます。羨望や嫉妬から「あの人のようになりたい」と願望を叶えるために努力をすると、私たちの心は調和を失い、強い感情と欲望に支配されやすくなります。

 スピリチュアルな学びの過程では罠があります。
 一つ目は自分を誤解すること。これは自分の能力やパワーに酔いしれて、能力を高めることだけに意識がいってしまい、霊性を高めることをストップさせてしまうことです。
 二つ目は他者を見下すこと。スピリチュアルな事を知っている自分はスピリチュアルな事を知らない相手よりも優れていると勘違いすることです。
 三つ目は嫉妬や羨望から無意識に相手を攻撃することです。パワーが強い人ほど生き霊を飛ばしやすくなります。

 この三つの罠は私たちの成長を止めてしまうとても危険なものです。
そして、この罠にはまってしまうと、自分ではなかなか気がつかず、抜け出せなくなります。悲しいことに、罠に落ちている人は誰かが大事な事を伝えても素直に受け入れることができず、罠を抜け出すことがとても難しいのです。
 特に神を心から信頼していない人はこの罠にたやすく落ちます。信仰とは形式ではなく、心から信頼するかどうかです。自分の利益や都合で神を信仰したり利用する人はどんなに作法や形式を理解していても、神の愛や慈悲を本当には信じていません。神に対して手を合わせながら、自分の希望が叶うことだけを考えているだけです。もちろん、そのことを神様は分かっています。それに対して罰があるわけではなく、その人のカルマが増えて、人生の苦しみが増すだけのことです。自分で蒔いた種は自分で刈り取るとはこういうことです。

 仕事柄スピリチュアルな事を学びたいという話を聞くことが多いのですが、私たちの生命と人生はとてもスピリチュアルなものであり、自分の人生と向き合わずにスピリチュアルな事柄に夢中になるのは人生の問題から逃げているだけになりかねませんので要注意ですといつも伝えています。
 まずは三つの罠にはまらないように気をつけてみてください。これもとても価値あるスピリチュアルな学びになりますよ!  

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