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オウムからの帰還~読書記録273~

1996年に出版された、オウム真理教元信者・高橋英利氏による手記である。


995年4月23日。オウム疑惑が怒濤のように渦巻くさなか、実名と素顔をさらしてテレビに生出演した元出家信者がいた。高橋英利。教団科学技術省に所属していた青年である。幸いにして教団の暗黒部には関わっていなかったが、彼は危険をかえりみず、勇気をもって自分の知るかぎりのことを率直に語り、教団に対する疑念のすべてをぶつけた。その番組終了間際、彼の上司であった村井秀夫の刺殺事件が起こったのである…。その彼による本書は、類例をみない凶悪犯罪を生み出したオウム真理教の実態を、内部にいた者の視点から浮き彫りにした鮮烈な手記である。出家に至るまでの自らの精神的苦悩を赤裸々に語り、サティアン内部で実際に目撃し体験したことを、できうるかぎり冷静かつ客観的な筆致で再現する。これはオウム真理教の真の姿を伝える証言であるとともに、一人の青年の心の内面の記録でもある。
自ら教団を脱出した元信者による鮮烈な手記。彼は何を求めてオウムに入信し、サティアンの中で何を目撃したか。自身の内面を率直に告白し、教団内部で体験したことを冷静な筆致で再現した貴重な証言。(書店紹介より)


実に、自分の気持ちに正直に向き合い、冷静にオウム真理教について書かれた本であると感じた。
当時を知る人ならば、テレビなどで知る名前の方々がかなり出てくるので興味深いところだ。

著者は1967年生まれで、国立大学の大学院にも進学するほどの優秀な人間だ。
オウム真理教に傾倒する方たちは、東京大学医学部を出ているなど、え?と思うような優秀な方ばかりが多かったことが当時、不思議であった。これは私だけの感想ではなく、その頃(私は独身で一般企業の正社員だった)、同僚や取引先の方々とも話していたことを覚えている。
「ああ言えば上祐」こんな流行語も出来たくらいだ。頭が切れる方が多いなの印章を受けていた。

世間一般の人からしたら、何故に、麻原彰晃なんぞに魅力を感じるのか?と、思えてならないのだが、そこは、この時代の空気というか、雰囲気もあったのではないかと思える。

ハルマゲドンなどというと笑って相手にしない人もいるかもしれないが、信じる信じないということではなく、すでに「気分」として僕たちの世代は「終末」というものを刷り込まれてしまったと思う。(本書より)

時代背景というのは、この本でも書かれていたが、当時の若者は1999年に地球が滅びると本気で信じていた人がかなりいたのだ。私もその1人だったが。ノストラダムスの大予言だ。


多分、現代の若者には理解出来ない感覚だと思う。今は、キリスト教の学校や仏教の学校では、宗教の時間がなくなった所が多いようだから。


元々は、オウム真理教は1984年に、仏教やヨガを極める「オウム神仙会」として誕生。


麻原彰晃が語るハルマゲドンとは、ノストラダムスの大予言に出て来るものではないだろうか。

僕が「ここにいる」ということにどんな意味があるのか。どう考えてもその答えは見つからない。だが「意味がない」ということが答えだとすると、僕には耐えがたいことだった。両親や親しい友人にも問うたことがあったが、そもそも僕の言ってることが理解できないようだった。
傲慢な言い方になってしまうが、自らの存在の意味を問うことを忘れたまま生き続けているのが、僕を含めた多くの人びとの姿ではないのか。ある刺激を与えられると反応する微生物。人間もそれと変わらないのではないかと思った。(本書より)

大乗仏教、小乗仏教、六波羅蜜、お布施・・・その他、あらゆる仏教用語が出てくる。解脱もその一つなのだろうか。
人間が持っている業。カルマを落とす為の修行という菜の洗脳。冷静になってから書き表せることなのだろう。

高橋英利さんは、尾崎豊の事も書かれている。
高橋さんが惹かれ、出家する決意をすることになった井上嘉浩(2018年に死刑執行済み)は尾崎豊の大ファンだったそうだ。
これも時代背景だと思う。今の若い人には、尾崎豊の歌詞や生き様など共感出来ないのではないかと思うのだ。

このツイートに違和感を覚えたのは、2000年以降の、ノストラダムスの大予言が外れた後に生まれた子供は、尾崎豊が自分を変えたとか、嘘っぽいなと思えてならないのだ。
世代が違い過ぎる。

他人の業を救うためにポアするなんぞ、今、全くの他人の私からすると
「余計なお世話だ」
と思うのだが、当時、あの集団にいた人たちは真剣であったのだろう。幹部の方たちは、純粋であったと思う。

地下鉄サリン事件は、今思い出しても痛ましい。

1つの時代でもあったが、もう二度と繰り返すことのないように祈るのだった。



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