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もしもし、生きてていいですか?~読書記録281~

2010年。千葉県成田市名古屋曹洞宗『長寿院』住職・篠原鋭一師が書かれたエッセイ。


1944年兵庫県豊岡市生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。曹洞宗人権啓発相談員、同宗千葉県宗務所所長を歴任。「できることからボランティア会」代表。少数民族地域を中心に様々な国の教育支援を展開。1994年、カンボジア国王より小学校建設活動に対して「国家建設功労賞」を受賞。1995年から自殺志願者を救済する活動を始める。寺院を開放し、24時間いつでも自殺志願者からの電話相談を受ける活動がテレビや新聞で報道され、大きな注目を集めている。生きることをテーマとした全国での講演も多数。現在NPO法人「自殺防止ネットワーク風」理事長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


『NEWS ZERO』や『朝日新聞』で大きく報道された、24時間いつでも自殺志願者からの相談電話を受ける篠原鋭一住職の活動とメッセージを収めた渾身の一冊。現代の日本で自殺者が増え続けるのはなぜか、篠原住職が命の救済活動を始めた動機とは、そして篠原住職が出会ってきた自殺志願者たちの叫びとは。「私と友達になろう」「人生は各駅停車でいいんだよ。」生きることに迷い、疲れた人の心へ届けたい、救いのメッセージ。
「死にたくなったら、いつでもいいから私に電話してきなさい」離婚、リストラ、ひきこもり、病気、いじめ、介護…増加の一途をたどる日本の自殺者数。生きることに疲れ、死を見つめる人々が、篠原住職に最後の救いを求め、携帯に手を伸ばす。今日も千葉県成田市・長寿院の電話は鳴りやまない。(本の紹介より)


この本は、図書館で偶然目にしたものだ。
読む前、読後と。こんなにイメージが変わる本というのは久しぶりのような気がした。
私がひねくれものだからだろう。だいたいは、本が並べられている分類、出版社の紹介文などで、読む前に「こういう事が書いてあるのだろう」とイメージする。そして、たいていは当たっているのだ。
こちらの本は、宗教の書棚に並んでいたのだが、宗教的な押し付けや教派の教え、説教ぽいところがなかった。更に、この著者の素晴らしい所は、「わからない事はわからない」とハッキリ言えるところだと思う。
自殺願望の方を受け入れ、いつでも電話していいと言う。何時間でも話を聴く。それは、いくら宗教家と言っても、簡単に出来ることではないと思う。
司祭、牧師、坊主。これらの職業の人にあって、冷たい、自分の事しか考えていない人を私は何人も知っている。
寧ろ、他人の辛さに寄り添えなくて出来なくて当たり前なのだ。

「あの世はありますか?」という問い合わせは多い。
しかし私たち仏教者はあの世があるともないとも結論づけていない。あるかどうかは誰も知らない。そこから帰ってきた人はいないのだから。
あの世はあってもなくてもいいのです。今私たちが考えなくてはいけないのは「あの世」ではなく「この世」のこと。
二度とない人生、たった一度きりしかない人生を、私たちは生ききらなくてはいけない。
生命という不可思議なものが、自分のところまでつながれて出来たこの命を、自分の手で切ってはいけない。(本書より)

仏教は生きている人のために説かれた教えであり、亡くなってからでは遅い。
著者は、こう書かれている。

話が飛んでしまうのだが、この本と同じ棚に並んでいた(宗教コーナー)本と比較してしまう。同じ日に読んだのだ。

こちらの女性は、エホバの証人というカルト宗教の2世であり、元信者であったからこその実態をあからさまに書いている。
死んでからのパラダイスみたいなものの為に、信者らは必死なのだろう。


篠原住職は、何度も言うのだ。
「あの世」は行ってみなければわからない、と。この世で幸せになりましょうと。

仏の教えを信じなさい!輪廻転生、餓鬼畜生などという本ではなかった。一度きりの人生を幸せに生きましょう。という本であった。

住職は、ただ話を聴くだけではなく具体的な助けもされている。素晴らしい。

人は必ず死ぬ。その生きている時をどう生きるか。
良い本に出合えて感謝だ。


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