見出し画像

裏長瀞の魅力は自然と静けさ 長瀞町野上

長瀞町の七草寺の1つ。桔梗寺の多宝寺は7月半ばまでは花が咲いている。
さあ!!急ぐぞおお。
で、家を飛び出し、東武東上線で寄居駅まで。

さてさて、池袋から長瀞に電車で行く場合は、3つのルートがある。
①国鉄で熊谷駅に出て、秩父鉄道に。
②西武鉄道で西武秩父駅に。そこから御花畑駅まで歩き、長瀞に。
③東武東上線で寄居駅に。そこから秩父鉄道。

勝手にタビリスをライバル視している私がお勧めするのは、③だ。
①は料金がかかるし、遠回りになる。
③であるが、安いのは魅力的であるのだが、休日はお勧めしない。
なんと!!!
休日だけなのだろうが、秩父鉄道は熊谷駅から長瀞駅止まりがかなり多いのだ。
私がたまたま乗った列車が行きも帰りも長瀞駅止まり。長瀞駅始発であった。
つまり!本数が多いのだ。


ということで、野上駅に。


駅の前にあるのは宮沢賢治の記念碑だ。

秩父鉄道野上駅裏手にある、宮沢賢治の歌碑。
 賢治がこの地を訪れたときの風景を詠んだ歌、
 「盆地にも 今日は別れの 本野上 駅にひかれる たうきびの穂よ」と刻まれている。


まずは、駅から近い臨済宗総持寺にと思って歩き出すと、総持寺の前にあったのがこちらの武野上神社。

古くは家並が秩父往還(国道140号)に沿った帯状に続く宿場町であった。宿の中ほどから西に300㍍ほど入ると右手に当社が鎮座し、正面に臨済宗総持寺が堂宇を構える位置関係にある。
神社の起こりは旧社名「丹生社」から武蔵七党の一つ「丹党」が氏神として勧請した、あるいはこの地を拓いた人々が地神の「野神」を奉斎したことに因るという。
 地内を貫流する荒川は岩石段丘が続き、水利に悪く天水に頼らざるを得なかったことから、当社別当となる総持寺の開山法燈国師は文永年中(一二六四~1275)高野山からの帰路、丹生大明神より分霊した水の神である罔象女神・高龗神を「野神」に合祀したという。『新編武蔵風土記稿』も「丹生社、例祭二月朔日、九月十九日、当村及中野上村の鎮守なり総持寺持、此寺の開山法燈国師、高野山より持来て、此所に勧請せしと云」と記載している。
現在の本殿は享保11年(1726)に再建されたもので入母屋造である。
明治に入り丹生神社と改称、その後の同42年(1909)地内の五社を合祀し、社名を武野上神社と定めた。

宝登山神社ばかりが注目されるが、このような地域に根差した神社。落ち着く。

そして、臨済宗総持寺へ。

詳しくは、こちらに。


ああ、長瀞アルプス。行きたかった。
だが、当日の私の恰好はというと、横浜で近くのコンビニに自転車で行くような軽いズボン。
次回は、きっちりと計画を立てよう。


笠間稲荷神社。山の中を入って行くと、もっと良い雰囲気が味わえたのかもしれない。

その隣は、臨済宗慶養寺。見ての通りの無人寺だ。


真言宗智山派萬福寺さんへ。お地蔵さまが可愛らしい。当たり前のように、お寺の庭に鳥居があり、鳥居に手を合わせるお地蔵様。

線路をまたいだ道へ。
さあ!!桔梗が私を待っているううう。


長瀞町秋の七草寺の1つ。多宝寺だ。

詳しくは、こちらに。

多宝寺の隣には八幡神社がある。

多宝寺はライン下りの船着き場の上に位置する為、こんな風景も見られる。
夏はなかなか良い。

荒川沿いにあるのが妙音寺だ。秩父には珍しい天台宗寺院だ。
ライン下りの様々な音を聴きながら、弁財天に祈る信仰の場。
そんな場所であった。


高砂橋を渡り、荒川の向こう側に行きたいのだが、はてさて困った。。。
「高熱の為、スマホアプリが起動しません」
の私のandroid端末。
なんやねん!
ついでに言うと、七草寺は寺の名前を憶えてきたもので、花の名前で表示されてもわからないのだ。
藤袴?尾花?どっちやねん!

と、なんとかスマホが復活。藤袴寺の法善寺さんに到着。

詳しくはこちらに。

と、この法善寺さんの両隣りに神社が。。。


どちらも春日神社入口なのだ。
その春日神社はというと・・・
地図で確認すると、道なき山の中。


こんなズボンではムリ!熊よりも蚊が怖い。


途中まで行って断念。というか、ここまででもやはり長袖のジーンズだな。

荒川を渡り、北桜通りを長瀞方面に。この道はライン下りのバスと船を載せたトラックが頻繁に行きかっているのでその車を見ると、スマホ要らず。
安心して、駅へ向かえるのであった。
この通り。ワラビが群生していた。その名の通り、桜の木が並んでいる。
春にこの道を通りたい!と思い、長瀞駅に着いたのであった。

まとめ。
長瀞駅周辺、宝登山を中心とした参道は賑やかで人混みが凄いのであるが、少し外れると静かなもんだ。荒川の涼しさを堪能できる。人のいない寺院で、ゆっくりと過ごせる。
今度は、寄居と長瀞の中間あたりに宿を取り、堪能したいと思うのであった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?