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国民国家のリアリズム~読書記録236~

2017年、国際政治学者・三浦瑠麗氏と、元東京都知事(当時)の猪瀬直樹氏による対談本。

国家の将来のビジョンを描いた上での国防や国益の議論がなされていない昨今。注目を集める国際政治学者とナショナリズムをテーマにした作品を世に送り出してきた作家が、トランプ時代の日本の針路を考える。
(角川書店による紹介文より)

率直な感想を言えば、猪瀬直樹氏が先導し、三浦瑠麗は猪瀬直樹氏を実に気持ちよくさせる為の相手だったなという気がする。

田原総一朗氏、安倍晋三元総理、松本人志さんら。彼女は、一般庶民には色々と言われながらも有名な相手を気分よくさせるのは天才的だと思う。
朝まで生テレビでも、他の女性論客とは違っていた。

2017年5月に「安倍晋三総理(当時)から会いたい」と言われて、三浦瑠麗氏は、当時の総理に会っている。当時は、憲法9条に対する審議で盛り上がっていた時代でもあった。

日本の官僚は、ほとんどシビリアンコントロールを理解していないので、立法府によるコントロールを憲法事項にしておく必要がある。(三浦氏)

シビリアンコントロールという言葉がよくわからなかったので、検索してみた。
やたら、こんな難しい用語を使いたがるのが、三浦氏の特徴なのだ。

稲田朋美元防衛大臣についても、かなり2人で辛辣に語り合っている。

稲田さんが防衛大臣になった時、私はインターネットの番組で、適任ではないが、「安倍総理は防衛政策を官邸主導でやるつもりだからだろう」と解説しました。でも、実際に防衛大臣になると政権にとってコストやリスクの高い言動を繰り返してしまった。外務大臣の岸田文雄さんのように、官邸主導に従いつつ官僚の意見を汲み取って手堅く実務をこなすというタイプならば、それはそれでいいのかもしれまでんけども、稲田さんはそうではなかった。(三浦氏)

国連キャリアの人たちの中には立脚すべき共同体を持てていなかったり、あるいは単に国を愛せない場合も多いのではないかという気がします。いわば自己実現のために仕事をしている人もいるでしょう。国際機関というとあたかも公平無私なイメージがありますが、自己実現の場としての国際機関である場合も多いだろうと思います。もちろん、それは国内政治の現場でも同様です。有権者や国民一般を愛せない自己実現の政治と言うのは不健全なものです。例を挙げるならば、秘書に暴行したと報じられた豊田真由子議員がいましたね。彼女についてきかれたので、私は週刊誌の取材に答えて、プライズ・コレクターだと指摘しました。(三浦氏)

猪瀬直樹氏が、上手く誘導してくれているのだが、業績やキャリアにおいて金メダルを集めている人のことなのだそうだ。
どこの大学を出た、官僚、政治家などの肩書を集める事らしい。
そして、三浦氏に言わせると、官僚には相応しくないらしい。

国民国家の成立は、歴史的現実であり、ヨーロッパの近代社会の中で生まれた。国民国家は、十七世紀から十九世紀にかけて誕生した比較的新しい仕組みである。日本の国民国家は明治維新によって誕生している。(猪瀬氏)

国民には納税の義務があり、国民の代表である議員議会制が存在するわけだ。

天皇制について言うならば、日本の風土を代表する天皇が国家の感情の部分を担当するということですね。それから、霞が関や永田町のエリートたちが国家の骨格を担当し、建てかけの国家の工事をするという役割だったわけです。(三浦氏)

国民国家としての日本を支えてきた前提の多くが既に崩壊し、我々は地図のない世界を歩んでいると言われます。それは、きっとそうなんだけど、地図があった例なんてない気もします。自分で考え、行動していくしかないという諦めは、絶望のようであり、それでいて希望のようでもあるのです。(三浦氏)


この対談の時期に総理大臣であった安倍晋三氏は故人となり、外務大臣としては腕を振るっていた岸田文雄現総理大臣。

改めて、この本を読むことにより、外務大臣としては優秀だったのだなと思わされた。適所適材だったのだろう。。。

両氏が言われるように、近代国家として、国民国家(国民主権)として、法を犯さない限り自由なのだから、自分で考え、行動していくことなのだろう。

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