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殺人罪に問われた医師~読書記録68~

2008年、矢澤昇治弁護士により、編集、著作された書。
1998年、川崎市にある川崎協同病院における、医師による脳死状態にある患者のチューブを外した、などの一連の行為が警察、司法により「殺人罪」とされた事を問題提起する書である。

本書が取り扱う問題、すなわち「終末期医療における人の生と死」は、まさしく「不可逆的に死に行く患者から生命延長の医療措置を取り上げることの道徳的・法的正当性如何、という現代社会の最も複雑なジレンマ」であり、この問題に、わが国の最高裁判所が答えを出すということである。(著者)


横浜地裁、東京高裁共に「殺人罪」「執行猶予」を受けて、最高裁に臨むにあたり、担当弁護士であった矢澤先生が、事細かに詳細を書き、意義を唱えておられる。

読み進めるたびに、日本の現状に怒りが込み上げてきたのだった。
患者は、病院に運ばれたきた段階で、脳死状態。意思疎通で出来ず、人工呼吸器に繋がれていた。もちろん、栄養補給も自力では出来ない状態だった。

経済的にも、介護をするのも大変と、家族からの要請を受けて、主治医がした行為。それが数年後にいきなり逮捕?
その家族は、世話になった病院、主治医から賠償金をもらうとか。。。
本来は、医師だけではなく、家族も「嘱託殺人」として、裁かれねばならないのでは?などなど、

退職させられた病院側も、全てを1人の医師に押し付けるなど、あまりにも酷いじゃないか。。。

1998年に患者は死亡したのに、逮捕が2002年で、突然など、医療従事者を怖がらせるものではないのか?
「殺意をもって」と、警察、司法は、何故言い張るのか?

毎日新聞を始め、メディアは、医師、遺族らに取材することなく、警察からの一方的なリークのみで報道をしたのだともわかった。
私は、確か、この事件報道の頃、新聞記事を信じていたのであった。
反省・・・

けれども、誠意をもって、患者の治療に臨んでいた医師が突然、殺人罪として起訴される。これはあまりにも理不尽ではないだろうか。
又、既に脳死状態で意識のない、いわゆる植物状態の人はいつまで?と言った点もあると思った。
私の経験した例では、遺族に訴えられるのが怖く、チューブを外せないと言う医師もいた。


裁判での判決にしても、裁判官に委ねる「自由心証主義」が取られたが、これはどうなのだろう?と思わざるを得なかった。

憲法13条における「自己決定権」も出来ない状態の患者に対しては、家族、代理人などが、もっと責任を持てる形にしないとダメなのではないか?
日本は、他の国と比べて、法的にはだいぶ遅れていると感じた。

日本国憲法第十三条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

アメリカでの例では、かなり昔に、意思決定の出来なくなった娘に代わり、父親が。という事件もあり、裁判でも認められている。


さて、この本では、最高裁に臨むに当たっての弁護士の決意が真摯に伝わったのだが、その後の最高裁での判決はというと。。。

2009年12月。最高裁でも有罪となった。
最高裁決定として、まず、最高裁判所は、本件の上告につき、刑事訴訟法に定める上告理由に該当しないとして上告を棄却するとした(いわゆる三行半判決)。

非常に残念であると同時に、今後、訴訟の恐れのある科に行きたくないと言う若い医師が増えるのではないだろうか?と思った。

人は、若くても健康でもいつどうなるかわからない。
明日、交通事故で何年間も植物状態になる可能性だってあるのだ。
だからこそ、家族や医療関係者に迷惑を掛けないために、自分の意志を書いておく必要性を想った。(それは、五木寛之先生も言われていた)

こちらに上げた写真は、横浜市が無料でくれるものなのだが、実によくできている。

この内容については、又、次の機会にしたい。。。

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