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直木三十五のお墓に芋観音 横浜市金沢区 臨済宗建長寺派富岡山長昌寺 私の百寺巡礼141

京急電鉄の夏詣の御朱印巡りには京急富岡駅近くの富岡八幡宮もあった。
そこまで電車代を出していくのだからと近くもチェックする。こういうところが私はケチなお婆さんだ。
思っていた以上にお寺は多かった。金沢区七福神なるものもあった。
そんな中で、偶然みつけたのが、直木三十五のお墓のあるここ長昌寺であった。イヤ、実は行くまで直木三十五のお墓がある事も知らなかったのだ。
ああ、検索力のレベルの低さよ。。。

臨済宗慶柵寺の横に観えるは、「直木三十五の実家跡」という道標だった。

直木が富岡に家を構えたのは、肺病を患 った晩年のことでした。海がすぐそばに迫 る風光明媚なこの土地を、直木が気に入っ て、慶珊寺から土地を借りたのでした。 直木三十五文学碑が建立された昭和 35 年発行の『富岡の家』には、随筆家・内山 順が慶珊寺の奥さんから聞いた話が紹介さ れています。(横浜市金沢区役所文献より)


お城のような白い壁の建物は真言宗の慶柵寺だ。

元は、慶柵寺にお墓はあったらしいのだが、お寺の方からお墓を移したいということで、すぐ近くにある臨済宗長昌寺に移したらしい。(長昌寺の夫人談)


こちらは、金沢区七福神の布袋様が祀られている。

ザクロが見事であった。

法要があるとのことで、住職はにこやかに挨拶されたでけであったが、住職夫人が書き置きの御朱印をくださり、色々と案内してくれた。

なんといっても心惹かれたのが、芋観世音微殺であった。


こちらも、お寺の方に案内して頂いた。

木造。約3寸。その昔、富岡の北にある鳥見塚に豊かな水をたたえて一年中芋の葉が繁る一間四方の池がありました。いつの頃からか、この池の中に小さな観音様が現れるようになり、霊験あらたかなことから、戦国時代末期、時の地頭や村人達によって池の近くに観音堂が建てられました。
この観音様は本来、人々から病苦を抜き去って下さる恵み深い観音様で、お参りすればいかなる願い事もかなえられ、また容貌を美しくして下さるとも言われて参りました。とりわけ当時は天然痘が流行し、「疱瘡」「イモ」などと呼ばれ大変恐れられており、一度患うと命を落とすか治っても痕が残るものでした。しかしながら芋観音にお参りをして祈願し、池の湧水を頂けばその難を免れ、たとえ患えども軽く治るとされました。
この由来から「芋観世音」又は「芋神様」と尊称され人々から絶大の信仰を受けられるようになり、御開帳日には近郷近住のみならず江戸や相模から子供を連れた参詣者で賑わったと古記録に記されています。現在でも3月上旬に参拝者に里芋の煮転がしや甘酒を振舞って盛大に御開帳縁日法要が行われています。

さて、直木三十五のお墓に。


こちらが直木三十五のお墓になる。

こちらは、私は全く基礎的な知識もなく行ったのだが、お寺の方の説明では、直木賞作家の胡桃沢耕史氏のお墓だとのことであった。
なんでも、尊敬する直木三十五のお墓に傍に弔って欲しいとのことで、ちょうど隣にある。

京急富岡駅周辺の寺院では、ことごとく「忙しい」と言われた日。
突然行った私が悪いのだ。
こんな風に親切に丁寧にお寺を案内して頂き本当に感謝であった。
偶然ではなく「おかげさま」なのだろう。


臨済宗建長寺派富岡山長昌寺
神奈川県横浜市金沢区富岡東3-23-21
京急線「京急富岡駅」より徒歩15分

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