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こころの相続~読書記録104~

2020年に発行された五木寛之先生のエッセイ。

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初めに、若い女性編集者の魚の食べ方の話が出て来る。実に綺麗に、食べ終わった後は標本の骨のようになっていると。なんでも、その女性は祖母、母から躾けられたらしい。
五木寛之先生は魚の食べ方が下手であると言われていたが、私もそうである。
山の中にあった農家で、店などなく、小さい頃は冷蔵庫もなかった(私が生まれてから電気が通った)為、たまに川の魚を食べるくらい。
そして、忙しかった両親から箸の持ち方を躾けられていなかったので箸の持ち方もおかしい。
既に凍結されているネトウヨアカウントに数年前
「バナナマン設楽は在日。箸の持ち方がおかしい」
とあったのだが、それは単に躾の問題であるかと思うのだった。

魚の食べ方でも箸の持ち方でも、割と躾られていないと出来ないことが多々ある。
そして、生活習慣などにおいてもだ。先生は「呼吸法」を大事にされている。必ず、先に吐く。父親から教わったのだという。こういったのも、お金に換算出来ない相続であろう。
五木寛之先生の言われる「こころの相続」とは、お金や土地など財産の相続ばかりが言われる現代において、大切な事を伝えてくれている。

五木寛之先生の言われる「こころの相続」には記憶もある。戦時中、北朝鮮に渡り、平壌で敗戦を迎え、必死の脱北をされた体験。
先生の体験もそうであるが、戦時中の辛い体験を伝えること。これも一つの「相続」となるという。
又、先生は、ご両親とも早くに亡くなった為、色々な話を聴く事が出来なかったのだ。あと20年生きてくれたなら、若かった時の話など聴けたのに、と思われている。
だからこそ、今、親のいる読者らには「親から話を聴くように」と言われるのだ。


この本を読みながら、自分が親や祖父母から受けた相続はなんだろうと考えてみた。

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私が祖母、母から受け継いだもの。それは、季節を味わう事ではないかと思う。
フキノトウ、アカシアなどの季節物の天ぷらの美味しい事。
料理が下手な私であるが、これだけはしている。
旬を知っているからこそ、🍓はハウス物よりも、初夏の方が美味しい(祖母が畑で育てていた)と思うのだ。

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ドクダミやゲンノショウコやマタタビなど、祖母や母と色々な野草を採っては、薬草のブローカーに売っていた子供時代もある。
おかげで、近所の人らが嫌がるドクダミも私にとっては宝である。


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白い花がドクダミだ。入浴剤代わりになる。

そして、亡くなった父の姉がまだ元気で日々、畑で熊と素手で闘っているうちに会いに行き、話を聴きたいと思うのであった。


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