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甘え・病い・信仰(長崎純心レクチャーズ)土居健朗~読書記録422~

甘え・病い・信仰(長崎純心レクチャーズ) 土居健朗 

著者が精神医学界に問うた「甘え」という新しい概念はその後、世界の学会に着実に受け入れられてきた。個の自立を強調する思潮に対し、人間関係の根底で「甘え」と信頼が果たす役割を明快に論ずる。さらに「甘え」の視点から聖書に光を当てて、愛されること、愛の受容がもつ深い意味を浮き彫りにし、癒されて在ることの真実の姿を示す、病める現代に送るメッセージ。
戦後、現代社会において「甘え」の経験を好ましくないとする風潮が生まれた。そこから引き起こされた社会的病理現象を明らかにするとともに、人間関係の根底で「甘え」と信頼が果たす意義と役割を論じる。
隣人愛に象徴される他者への愛が強調されてきたキリスト教の従来の見方にたいし、「甘え」の視点から聖書に光を当てて、愛されること、愛の受容がもつ深い意味を浮き彫りにし、癒されて在ることの真実の姿を示す。病める現代に贈る、甘えの大切さを語ったメッセージ。

土居健郎先生の長崎純心大学での講義を元にして書かれた本に納得する。

躁鬱病や分裂病は現代医学の脳の研究により、薬も開発されてきており、薬が効くが、人格障害、神経症などは簡単にはいかない。根っこが深い。幼児期に甘えることを知らなかった。つまり、親子関係を原因とするものが多いのである。こういう場合は、治療がなかなか大変なようである。一番の治療は、「治療者との新しい人間関係」である。最も顕著な例は、幼児期に親から虐待を受けて育った人間のカウンセリングであろうか。私個人で思うことであるが、カウンセラーは誰でもいいいわけではない。やはり相性とか素質とかあるような気がする。心を開ける、気を使わない相手というのが一番であろう。カウンセラーや医師に何人かかかったのだが、気を使う人もいたし、「どうせ、カウンセリングが終わった後、私の個人情報晒して、バカが来たよ、バカが、と言ってるんだろうな。絶対心を開くもんか!」と思う人もいた。数回で終わった。患者と医師やカウンセラーとの良い関係。重要であると思う。
私事であるが、私と兄は虐待を受けている。だからその根っこは深い物がある。3分診療の分裂病や躁鬱病の薬を大量投与されていた時期もあったが、ああ、これで治るわけないな。とやっと最近わかってきた。
精神科医だけでなく、内科医でも外科医でも一般的に評判の良い医師は、患者に対し、本当の意味で親切で信頼できる場合が多いそうだ。
確かに、近所の皮膚科医は大変評判が良いのだが、患者さんの目と患部を見ながら診察してくださる。もっと近い総合病院の20代皮膚科医はずっとコンピュータを見ながら、薬を何にするか決めていただけ。「先生、患部診なくてわかるんですか?」と、嫌味な患者もいるらしいが。(私だ)精神科医でも、カルテだけみて3分で「前と同じ薬出しておきましょう」でいいのだろうか?時々思う。治す気はあるのだろうか?本当の良い医者というのは、患者を治す事が喜びではないのか?治って来なくなったら、それはそれで嬉しいだろうに、そう思えない医者もいるのだ。たとえば、癌であれば、完治して10年とかで「もう来なくてもよい状態」これを喜ぶのが良い医者ではないだろうか?
同じ薬でも処方する医師が違うと効き目も違ったりということもあるようだ。
それでプラシーボ効果というのが参考になる。
プラシーボ効果とは「思い込み」が身体に影響を及ぼすことをいいます。プラシーボ(Placebo)とはラテン語で、「私は喜ばせる」に由来しているそうです。このような話しがあります。医者が薬理効果のないただの乳糖や澱粉を「○○によく効く薬」だと言って患者に飲ませると、実際に症状が和らいだり治ったりすることがあるそうです。実験によると、被験者のおよそ3分の1に効果が現われるといわれています。「~が治った」、「症状が改善した」などとよく宣伝される健康食品や、一般的にいわれる民間療法は、この効果による可能性のものもあります。また、プラシーボの逆で、ノーシーボ効果というものがあります。例えば先ほどの薬の例で「これは副作用を起こす薬だ。」と言って飲ませ、実際に副作用が現れるなど、効果がマイナスに働く場合などをいいます。その詳細な解明は未だなされていませんが、心理的要因が身体に影響を及ぼすということは、注目すべき現象といえます。

これは私の近所の話である。某病院にクリスチャンの医師がおられる。糖尿病外来だ。ある牧師が全然薬が効かない。けれども、K先生に診てもらって、薬を替えたら綺麗に治った!と言われた。私からすると、意外と、これは一種のプラシーボ効果みたいなもんかも?と思ってしまう。

ここで聖書の福音書の話なのであるが、イエス様は病を癒される際に「あなたの信仰があなたを救った」と言われた。イエス様に対する信仰が条件となっている。これはイエス様御自身が「癒しに人間関係を必要とする」事を認めておられたということのようである。イエス様との関係である。イエス様は、御自身の故郷ではまったく奇跡は行われなかった。(マルコ6章)故郷の人たちがイエス様に対する信頼関係を築けなかったということのようであった。

現代は、心を病む人が大変多いような気がする。一体何が根っこにあるのか。そして、何が問題なのか。何をしたらよいのか。
では自分は今後どうなりたいのか?どう生きていきたいのか?
マルコ5章に出てくる12年も長血を患った女性は、多くの医者にかかって、自分の持ち物を使い果たして、かえってひどくなったと書かれている。
現代もこのような人を見かける。医者に薬漬けにされて、或いは、カルト宗教に入信してしまって、財産を使い果たすのだ。それで綺麗に治ったかというとそうはならない。
この女性を癒せたのは。。。


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