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俳句まとめ 2024年4月

ホトカミだのインスタに投稿した俳句をまとめました。
4月版です。


品川区西大井にある如来寺の見所は何と言っても、五体の如来像。
五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から 北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝勝如来、 そして右端に東方世界の薬師如来が並んでおられます。
五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくものですが、江戸時代になりますと、 広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が深い民間信仰となって世に 広まりました。
大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝勝如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、 そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現生利益を願う信仰が強くなりました。これら諸仏に 対する渇仰と五体満足を願う深い信仰が、都市からしだいに農村へと広まっていったのであります。(如来寺ページより)

初桜 如来坐像と 共にあり


横浜市西区の岡野神社。
藤棚の花が見頃です。

藤の花を見ると想い出す人がいます。
以前、ヘルパーをしていた時にオムツ交換をしていた女性ですが。
元々、自分の家で娘さんと娘さんの旦那さんがマスオさんのように同居。
働く子どもを支えて家事を引き受けてきたのに、骨折してから寝たきりになると酷い扱いで。
日の当たらない部屋で、テレビ、ラジオ、カレンダーがない。だから今が何曜日なのかもわからない。認知が進む。。。
その方は、紫色の花が大好きだと言われた。。藤、スミレ、アヤメ。
医師とケアマネさんの尽力で家族を説得。老人ホームに。認知は治り、車椅子の生活に。環境は大切ですね。

藤咲きて かの人想う 静けさよ

鳥居抜け 合わす手の先 藤棚よ


群馬県昭和村の川額八幡宮です。

武尊信仰とならび秋の稔りや養蚕の神様として盛んな諏訪信仰にちなみ、利根沼田地方の各地域でいろいろな祭りが行われています。昭和村では、毎年9月28・29日を目安に川額八幡宮で豊年踊りとともに賑わいをみせます。(昭和村のページより)

祭の写真を見ると、真田家の武将の名前がある。やはり、この辺りは真田家とゆかりがあるようだ。

パソコンのGoogleマップで調べて行ったのだが、実際に行ってみると
「きいてないよーーー!」というくらいの坂を登っていくのであった。
リュックの背中が汗臭い中、見上げたソメイヨシノのなんと美しいことよ。

息切れし 見上げる桜 八幡宮


群馬県沼田市・日蓮宗妙光寺です。

創建年代は不明である。ただ元和年間(1615年 - 1624年)に日守が再興していることから、それ以前に存在していたものと推測される。1667年(寛文7年)、慶寿院(沼田藩第2代藩主[2]真田信吉の側室)によって、山号が「慶寿山」となった。1670年(寛文10年)、日統によって再再興された。日統は古河妙光寺の住職であった。これまで「本隆寺」という名称であったが、古河の寺にならい「妙光寺」に改称した。

ソメイヨシノ、枝垂桜と満開で綺麗でした。

花盛り 聖人見守る 上州や


群馬県沼田市の沼田城址公園に来ました。
桜を観る会?桜を追いかけて北へ♪ミツバチのような私です。

花を追い 谷川岳に 深呼吸


大田区池上本門寺の隣にある永寿院さんに参拝しました。
なんと!!ここは、森村桂さんのエッセイによく出て来る場所なのです。

大好きな森村桂さんのエッセイに書かれていたが、離婚された最初の旦那様(元日本テレビスポーツ部の谷口氏)と住んでいたのが池上本門寺の近くの旧い住宅だった。
そうそう。大好きな森村桂さんが住んでいたという池上の住宅跡地に行く!と決めていたのだ。それが、ここ永寿院前にある万両塚なのらしい。
旧森村桂邸堤方権現台古墳の敷地には、昭和7年に木造住宅が建てられました。この家に最後に住んでいたのは、「天国にいちばん近い島」をはじめ多くのエッセイや小説を著した人気作家 森村桂さんでした。森村さんが転居した後、空き家となり、屋根が落ち、床が抜けた状態であったため解体。古墳の副葬品が発掘されたのは床下の土から、わずか30㎝のところでした。(延寿院ページより)
寛永年間後半(1630年代)、本門寺16世 心性院日遠聖人の隠居所として開山。関ヶ原の戦いでの軍功により、徳川家康に仕えた大名、備中庭瀬藩主 戸川逹安(とがわみちやす)が下屋敷を寄進したと伝えられており、逹安の法名「不変院殿覚如日真大居士」に因み、山号は「不変山」といいます。堂宇が完成したのは、日遠聖人の弟子 日東聖人(本門寺17世)によるもので、当初は日東聖人の法号に因み「蓮乗院」とよばれていました。その後、お万の方の方の孫芳心院(紀州徳川順宣の娘、鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け「永寿院」と改称。揚羽蝶の寺紋も池田家からたまわったといわれています。宝永5年(1708)に没した芳心院の墓所は、造営に一万両はかかったであろうとの風説から通称「万両塚」といわれています。(永寿院)
お寺の本堂にお参りというよりも、昔の遺跡を観るのが目的になってしまったか・・・すぐ隣の池上本門寺では桜がまさに見頃であったが、こちらはチューリップの花に癒される。森村桂さんもチューリップのイメージだな。
お寺全体を囲むチューリップが印象的であった。

坂の上 亡き人偲ぶ チューリップ


目黒川沿い、京急線新馬場駅近くにある海徳寺さんです。
花見で有名な目黒川沿いにある日蓮宗寺院。ここは、世界のホームラン王・王貞治氏にちなんだ寺院である。といっても、王貞治氏の菩提寺というわけではない。
海徳寺は、大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺としたといい、松陽院日増(天文14年1545年寂)が開山したといいます。鳥海和泉守の子孫は、江戸時代に名主を務めた利田吉左衛門だといいます。
手入れされた寺院の庭は、心を惹く数々の像や碑があった。その中にあったのが、ホームラン地蔵と呼ばれているお地蔵様であった。
元巨人軍の王貞治選手が新人のころ、ある心臓病の少年に「ホームラン王」になることを誓った。その少年は残念ながら14歳で亡くなってしまったが、王選手は記録達成ごとにその少年の墓に参っている。もちろんホームラン世界記録を樹立した時にもその報告に訪れている。バットを大切に右手に握りしめ、左の手にボールを持った「ホームラン地蔵」がその少年の墓である。
王貞治氏の人柄が偲ばれる素晴らしい話だ。
目黒川の桜を観ながら、世界一のホームラン記録を達成した王貞治氏と少年を想うのであった。

花爛漫 小さな地蔵 バット持ち


京急・青物横丁駅近くにある品川寺です。
海照山普門院 品川寺は、真言宗醍醐派の別格本山で大同年間(806~10)開創と伝えられる品川区で最も古いお寺です。本尊は水月観音(非公開)。東海七福神の毘沙門天を祀っています。
入口にある大きな銅造地蔵菩薩坐像は「江戸六地蔵」の一つで神田の鋳物師 太田駿河守正義の作。東京都有形文化財に指定されています。
鐘楼にある大梵鐘は「洋行帰りの鐘」と呼ばれています。梵鐘は慶応3年(1867)パリ万国博覧会出品後に行方不明となりましたが、スイス・ジュネーヴで発見され、60余年を経て昭和5年(1930)に里帰りを果たしました。境内の大イチョウは幹囲5メートル、35センチ、樹高25メートルで樹齢は約600年。秋にはこのイチョウから取れる「厄除開運ぎんなん」が人気となっています。(品川区観光協会より)
今年の桜は遅かった。肌寒い日が彼岸以降も続き、天気もぱっとせず。
やっとの晴天に気候も良し。
ということで、桜を見る会の人が旧東海道には大勢。
こちら品川寺もそんな感じであった。
山門と大仏を覆うようなソメイヨシノに心停まる。
京都の町屋?と思うような、入口が狭く、中が広い。そんな寺でもあった。
大仏といい、鐘楼と言い、七福神像といい、皆素晴らしかった。
そして、薬師堂に行き御朱印を書いて頂いている間は、護摩を焚き、経を唱える僧侶の姿に魅入っていた。
やはり、密教なんだよなあ。真言宗は、と。改めて感じさせてくれるお寺であった。

花満ちて 品川宿に 経響き

品川区の下神明天祖神社に参拝いたしました。
東急花御朱印巡りの1つです。
鳥居から続く参道の桜が素敵でした。
都内の片隅で知られていない桜スポット発見!!
嬉しくなりました。

鳥居抜け 花は続くよ 大井町


池上本門寺に行きました。
満開の桜で人混みに葛餅品切れに。
御朱印受付は3時でなんとかセーフ。

花爛漫 聖人招く 本門寺


横浜市都筑区にある高野山真言宗の東漸寺さんに参拝しました。

東急花御朱印巡りの1つだ。駅からはバスで行く。どうなることやらと思ったが、バス停のすぐ上で助かった。

東漸寺は奈良時代の天平13年(741年)、東大寺の大仏建立に尽力された行基が関東に布教に訪れた際、この場所に草庵を結び、文殊菩薩(文殊堂本尊)を謹刻し奉安されたことが開基とされます。 東海道の脇道、中原街道に接していることから近郷近在の人々の信仰を集め、江戸時代前期には頻繁に仏像の修復開眼が行われ、時の名僧「淨厳和尚」を招いて仏さまと縁を結ぶ「結縁灌頂」を厳修しています。江戸幕府から朱印地五石を賜り、杉山神社(東漸寺鎮守社)や山王社、稲荷社の別当職を兼ね、当時の領主であった竹尾公の墓所もあり隆盛を極めていました。 現本堂は、昭和40年代に建立された伝統的な木造建築で、向拝の彫刻は目を見張るものがあります。現在のご本尊は出世不動尊として信仰され、行基作の文殊菩薩は、智慧の文殊として学業成就や受験祈願の方などがお参りされます。(寺院墓地説明より)

杉山神社は、歩いて5分ほどの場所にある無量寺の隣なのだが、東漸寺が別当を勤めていたのか。

明治維新後には、一度廃れたらしいが、戦後に復興し、伽藍も整備されたらしい。文殊菩薩も御大師様も素晴らしい。

花を待つ 文殊菩薩に 大師像

川崎市溝口・宗隆寺さんの花海棠と庭に住む猫。
可愛い。

花海棠 猫も覗きし 御朱印よ


品川区荏原町にある旗岡八幡神社です。
それまでの寒さが嘘のような気温と晴天で、桜祭り開催中。
大変な賑わいでした。
だが残念ながら、桜はまだ一分咲き。
けれども、ここ数年は神社で賑やかにお祭りなんぞ出来ない状況であったので、屋台が出て、神楽に御茶会にと。
大勢の人が街に繰り出すのを嬉しく思うのでした。

花一分 人波嬉し コロナ明け


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