見出し画像

松尾芭蕉も訪れた古刹 仙台市 真言宗智山派陸奥国分寺 私の百寺巡礼175

陸奥国分寺は、聖武天皇により全国に建立された国分寺の1つ。国宝に指定されている。


明治時代に、廃仏毀釈の風潮もあって急激に衰退し、25坊のうち24が廃絶した。唯一残った別当坊が、薬師堂の管理と陸奥国分寺の名を単独で引き受けた。この経緯から、元別当坊の建物群と薬師堂・仁王門は少し離れたところに位置している。
ちょっと、この廃仏毀釈。なんやねん!といつも思ってしまうのだ。

陸奥国分寺跡は市の中心部に近くJR仙台駅の南東約2km、地下鉄薬師堂駅西に隣接する位置にある。広瀬川により形成された段丘の東端に立地しており標高は13~15m,面積は約76,000㎡である。古代律令制下の陸奥国府である多賀城の西南約10kmに位置し,遺跡は国史跡の指定を受けている。天平13年(741)聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺のうちで最も北にある。昭和30年(1955)から34年にかけて行われた発掘調査で伽藍の概要が明らかになり,昭和47年以降は整備のための調査が行われている。発掘調査の結果,北辺は明らかではないが周囲を築地塀で囲み,内部は南大門,中門,金堂,講堂,僧坊が南北中軸線上に並び,中門と金堂は複廊式の回廊で結ばれ,鐘楼,経楼,七重塔等を配した大規模な伽藍であったことが分かった。遺物は多量の瓦,土師器や須恵器等の土器類,塔の相輪の一部等が出土しており,瓦には文字が記されたものが多く見られる。また,創建期の軒平瓦には赤色顔料が付着しているものが見られることから,創建期の建物は赤彩を施された豪壮なものであったことがうかがえる。さらに,貞観11年(869)の地震後に,陸奥国分寺で大規模な改修が行われたことがこれまでの調査・研究によって明らかになってきている。その時に用いられた瓦が大量に出土しており,赤色顔料が付着した軒平瓦も確認されている。現在,陸奥国分寺の講堂跡には薬師堂が,南大門跡には仁王門が建てられている。薬師堂は慶長12年(1607)に伊達政宗により創建されたもので,仙台市内における代表的な桃山建築のひとつであり,国指定有形文化財(建造物)に指定されている。


紅葉とよく映える観音堂。

観音堂。松尾芭蕉の句碑があるのはこちら。

松尾芭蕉の句碑がある
野良猫がよく集まるとかで怪我をした猫の保護をしている。

こちらは、松尾芭蕉が訪れた場所でもある。

あやめ草足に結ん草鞋の緒


ここに芭蕉が来たんだなと思うと感涙。。。
対応してくださったのは30歳前後の若い僧侶。親切に色々教えてくださった。ここは国分寺跡で、少し離れた場所に檀家さん専用の新しい陸奥国分寺があるようなのだ。駅から離れているし、檀家さんのみみたいな感じもしたしで、こちらの薬師堂で満足だった。

そして、野良猫問題。お寺って猫が集まる?ここでは近所の方が、朝夕に餌をあげておられるとか。で、今は怪我をした猫を保護して若い修行僧の方が世話をされているとのことだった。

しかあし!
この薬師堂のすぐ裏に白山神社があったのだ。

大通りにある鳥居はわかったのだが、白山神社がわからず。

薬師堂のすぐ裏だったのか・・・
又行かねばならないな。ま。仙台駅からすぐであるし、地下鉄の駅の目の前でもあるし、いつでもゴイゴイスー!と行ける。
ずんだのスイーツが私を待っているうう。


薬師堂 ここに伊達あり 紅葉かな


真言宗智山派陸奥国分寺
宮城県仙台市若林区木ノ下3丁目15−3
仙台市営地下鉄東西線薬師堂駅より徒歩5分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?