見出し画像

人はひとりで死ぬ 無縁社会を生きる為に~読書記録155~

2011年 宗教学者の島田裕巳先生による著。


「人間が生み出した一つの知恵の体系が教えてくれるのは、人は必ず死ぬという事実であり、その死は本質的に孤独なものだということである」
(本書 おわりにより)
この最後の言葉こそに、この本の要点はあると言える。
どのような生き方、死に方をするにしても、人は必ず死ぬし、死ぬ時には独りなのだ。
それが怖いから太宰治は、愛人を誘ったのであろうか?

戦後、結びつきの強い地方から自由を求めて都市部に出てきた人たちの考える「縁」について。
様々な事例、作者の想いを交えて書かれている。
 
現在は高齢化であるから、昔のような葬儀は行わない事も多い。簡略化。家族葬も増えてきた。

直葬とは、、通夜や告別式などの儀式を一切行わず、自宅や病院から遺体を直接火葬場に運び、火葬によって弔う葬式のことです。 別名で、密葬や火葬式と言われることもあります。 直葬を行う際は、基本的に家族や親戚などの身内にだけ集まってもらい、出棺時や火葬炉の前で、僧侶による読経が行われます。
直葬 ちょくそう じきそうは仏教式の読み方。

島田裕巳先生の「人はひとりで死ぬ」を読みながら、私が小さい頃に住んでいた集落(ダム建設の為に全て県に補償金を貰い引っ越した)を想い出した。 結びつきが強く、誰かの家で葬儀があると手伝いに。 創価学会とか霊友会とかの入る余地はなかった。ただ、どこからか流れてきたのかわからない母子がいて。私より1歳上のはずなのに、小学校に行っていなかった。 町内会費やら神社の寄付なども、あの家には行かなくていいと。遊ぶな、とも近所から言われた。 不思議な記憶。。。
それを考えると、やはり、新興宗教、西洋の宗教は都市部の物なのだなと思う。

秩父神社のすぐ前にあるのに、多くの人はわからないであろう。


私自身、多くの人に否定されているのだが、
「葬儀、墓は残された遺族の為にある」の考えだ。
「自分はこうしたい」と、生前に墓まで買っておきながら、それを知らなかった、いとこによって、簡単な火葬で済まされ先祖の仏教の墓に入れられたカトリックの友人がいる。
学生時代のクリスチャンの恩師も、弟が仏教の墓にしたというのだ。
故人の想いはそこにはない。

だからこそ、「エンディングノート」なるものは必要なのだろう。

しかし、そこは生きた者に負担をかけないよう簡素にと思うのであった。
人はいつかは死ぬのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?