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運命の足音~読書記録126~

五木寛之先生が、それまでに各紙に執筆されたものを2002年にまとめられたエッセイ集。

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五木寛之先生は、敗戦を今の北朝鮮、平壌で迎えられた。
当時は、日本国の領地でもあった朝鮮半島で仕事をするという父親の希望からであったが、敗戦後のあまりの厳しさに、五木寛之先生のお母様は病に伏し、やがてその地で亡くなられた。

敗戦直後、ソ連兵が家に押し入り、まだ10代のソ連兵士が寝ているお母様の胸を靴で踏む。すると、血がどっと出て来る。それでソ連軍は還っていくのだが、その辺りの描写はイメージとして目に浮かんでしまう。
さすが、上手だな、と思った。

「運命」
この書のテーマである。
もしも、父親が朝鮮に行こうとしなかったら、などなど、考えてみたところで仕方ない。
先生はさらりと言っておられるが、この心になるまで、相当な年月がかかったに違いない。
母の事を書こうとしても書けなかった。想い出すまいとした、とも書かれている。
「地獄は一定(いちじょう)」
親鸞の歎異抄に出て来る言葉である。
一定とは、今の事ではないか!
北朝鮮で母を見殺しにしてしまったような思いに苦しみ続けた先生に
「もういいのよ」
と言う、母からのゆるしの言葉が聴こえたのは、57年目だった。

宗教についても述べられておられる。
アメリカは大統領宣言の時に、聖書に手を置いて宣誓する。
そして、「in God」と裁判などでも誓う。
グローバルスタンダードの鑑みれば、西洋化なのだろうが、それは、人間が一番とする世界なのだ。
スイスやチベットなどの高い山に登ることを「征服」という。
日本人は、白装束に杖で山に登っていた。
山の中にいる神の存在を信じていたからだ。
人間だけが偉いのではない。
動物、植物、鉱物、山…
皆、生命がある。

山も川も木もけものも虫も、すべてのものは仏性を持っている。ということです。つまり、自然のすべてのものは、石一つにしても尊い命を持っている。(本書より)

私も五木寛之先生と同じ考えだ。

五木寛之先生と同じ年生まれの方は多い。
昭和7年組と呼んでいるようだだ、石原慎太郎、大島渚、山本直純、小林亜星などなど。
その中で、自殺された江藤淳氏の事を先生は書かれておられた。
夏目漱石の研究で有名な方である。
江藤淳氏の奥様は、三浦慶子さんと言い、三浦直彦氏の娘さんだ。

三浦直彦 (1898-1972) 。三浦駒之助の養子となり、旧制和歌山中学校、第三高等学校を経て、1922年に東京帝国大学法学部仏法科を卒業。文官高等試験行政科に合格し入省、滋賀県属、本省警保局、岡山県理事官を経て、1926年に内務省社会局保険部事務官となり、社会保険制度発足に尽力。内務書記官・衛生局保険課長時代に五・一五事件が起こり、地方の学務部長に左遷、1935年に関東局に異動となり満州に渡り、1941年より関東局総長、司令部長などを兼任、敗戦後シベリアに抑留され、1947年3月に帰国。1957年より名古屋短期大学学長を務めた。娘婿に江藤淳。

三浦直彦しの伯父が島薗順次郎氏で、上智大学教授で宗教学者・島薗進先生の祖父だ。

慶子夫人は五木寛之先生に「同期生」という言葉を使われた。
父親の仕事で戦争の時期に満州に渡り、そこで敗戦を迎え、ソ連兵による、まさにアウシュビッツの監獄の様子を聴いても共感できるような体験をされたというのだ。

それも又「運命」。

自分の運命というものは、自分で作ってきたように思える。ところが、自分が生まれた時の母親の立場などに、一生左右され続けるわけです。
つまり、自分の努力とか才能とか誠意とかだけでは、どうすることもできないものがある。その母親のもとに生まれた、ということのなかに、すでにそれはあるわけです。
努力しても、自分ではどうすることもできないものの第一が「親を選べない」ということではないか。
シェークスピアも言っているように、人間は誰しも己の意志でこの世界に登場したわけではありません。「与えられたもの」として、私たちは生まれてきます。(本書より)

敗戦時の避けられなかった苦労を経て得た素晴らしい境地。

今流行りの「親ガチャ」とか言う人たちは甘えていると思わずにはいられないのであった。



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