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捨てない生き方~読書記録78~

2022年1月に発行された五木寛之先生のエッセイ。現代の「断捨離」ブームに対しての五木寛之先生の想いが語られている。

五木寛之先生は89歳でこの書を書かれたわけである。この写真も89歳現在のお写真で、髪の毛もたっぷりあるし、若々しい。

この表紙には
「コロナ後の生活を豊かにするヒント」とある。
これが書かれた時期はコロナ禍であった。今もか。。。
世は「不要不急」を叫ぶ時代。
しかし・・・そもそも、この地球において、人間こそが「不要不急の存在」ではないか?と先生は言われている。

イタリアのファッションデザイナー、アルマーニ氏は今回のコロナ禍について、
「あらゆるものを配置転換する機会になると思う」
と述べておられる。

中世、法然を源流とする日本の浄土教は「捨てる」ことを出発点とした。
比叡山での秀才と呼ばれる己を捨てることがそこにある。富、立場、身分などだ。
その中で、親鸞はそれが難しかったようだ。

五木寛之先生は、「断捨離」「ミニマムリスト」などが流行る時代にあって、「捨てない生き方」を提唱される。
物には記憶があるから。
それを先生は「依代」(よりしろ)と言われた。「憑依」という漢字もある。

「断捨離」「片付け」それはそれでよいのかもしれないが、プレッシャーになってはいけない、と言われる。
世の中には、アメリカや日本のように物が余って部屋が片付かない人もいるのに、本当に物がない国もある。格差がある。

「断捨離」も、物だけではなく、人に対しても「パーティーに呼ぶ人、呼ばない人」「住所録の断捨離」もあり、悲しくもある。
(私は、学生時代に仲よくしていた友人が結婚式に、他の人はお祝いの言葉やら花束係などお願いしていたのに、「人数の関係で貴方は呼びません」と言われ、それ以来、喧嘩別れしたままだ。きっと、彼女の側が私を断捨離したかったのだろう。寂しくもある。)
私たちが生きている限り、物などに対する執着は消えないのではないだろうか?それが人間というものである。
「物を捨てないという生き方」もあるのではないだろうか。


五木寛之先生のガラクタシリーズ

これは、物が本当にない時代を生き抜いた五木寛之先生の想いが込められていると感じた。
今の、狭い生活空間、仕事場で暮らしている私は、やはり物をある程度は片付けないとダメであるが、他人の事をもっと理解したい、と思わせてくれた。

尊敬する90代の女性が「老人ホームに入る時に娘さんが殆どの物を処分してしまった。だから着る服も少ない」と言われておられた。
要介護認定は受けておられず、有料老人ホームに入られた方だ。
娘さんは
「もうじき天国に行くんだから、そんなに物を持っていてもしょうがないでしょ」
と言ったそうなのだが、そんな家族の判断が認知症を生む?とも考えてしまった。何しろ、今は寝たきりでも長生きはする世の中なのだから。

では、やはり!!五木寛之先生の言われる通り、記憶のある品を大事にしたい、とも思うのであった。


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