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禅僧が教える考えすぎない生き方 藤田一照 2018年~読書記録346~

敵をつくる怒り・妬み、
突然あらわれる孤独・怖じ気、
重苦しい心配・後悔…
あの人、あのこと、反応する心を休ませるには?

◎かわいそうな「私」を断つ
◎「ないもの探し」から身を引く
◎自分を「守る言葉」を使わない
◎「べき」を押しつけない
◎他人との「競争」から降りる
◎「どちらが得か」を優先しない
よけいなことをやめたら、心はラクになる。

禅・マインドフルネスの世界で最も注目される僧侶による対人関係が変わるヒント。

藤田一照[フジタイッショウ]
曹洞宗僧侶。1954年、愛媛県生まれ。東京大学卒業。同大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程中退。29歳で僧侶となり、33歳で渡米。マサチューセッツ州ヴァレー禅堂住持を務めるかたわら、近隣の大学や瞑想センターで坐禅指導に携わり、2005年帰国。2010年より曹洞宗国際センター所長(2018年3月退任)。アメリカの大手企業でも坐禅指導を行う。神奈川県葉山を拠点に坐禅の研究、指導にあたるほか、オンライン禅コミュニティ「大空山磨〓寺(たいくうざんませんじ)」を主宰


著者は、お寺で生まれたわけではない。東京大学で哲学を学び、禅の道へ。
私の個人的な感想なのだが、家がお寺じゃない家庭に生まれ、僧侶になられた方がかなり現在は目立っていると思う。本、SNSなどそういうものがあるからだろうが。元々の求めが違っているのではないだろうか。
知り合いの天台宗の住職も一般家庭出身で、精力的に活動されている。実にわかりやすく教えてくれる。父や祖父も僧侶だったという人は、性別関係なく、「相手も知っていて当然」の所があるので、遠い存在となってしまう。
私の実家菩提寺、義理の家族の菩提寺の住職は、がっかりする葬式仏教しかやらない、仏教がいいとは思えなくするタイプの人たちだ。親が坊さんだから後を継いだと言っていたが。

本当に学びたいと思って仏の道に飛び込み、悟った方は違うなと、感心してしまう。それは、円覚寺の横田南嶺管長についても感じるのだが。


生きていく上での問題を私たちは他人や状況のせいにしがちであるが、そうではなく、自分の心が問題なのである。
「こんなにしてあげてるのに」
「私は不幸」
そんな気持ちを抱く人は多い。そんな人に読んで欲しいなと思った。
それから、私だけかもしれないが、過去の事を悔やむ。最近、本当に多いのだ。
私が悔やんでいる1番の事は、中学生、高校生の時にもっと勉強して共学の大学に行って、色んな男性と性交渉をしたかったなという事だ。
人生の中で、片手で数えるしか性交渉の経験がない(しかも結婚してからだ)なんて本当に恥ずかしい。そう、くだらないが、過去に戻りたい。それをずっと思っている。
けれども、過去を悔やむ、未来を不安がる。そんな事をしていてもしょうがないのだ。

この本は、座禅についての考えを簡単に説明している。と、始めは気軽にウンウンと頷きながら読んでいたのだが、終わりの方では何がなんだかわからなくなってしまった。

禅についての専門用語についての説明が、いちいち英単語なのだ。出来れば日本語で書いて欲しかった。東大卒の優秀な方だけありバカな人間には理解出来ないように書いているのかな。難しい。
けれども、1つだけは理解した。
本、You tubeなどで学ぶのではなく、禅は体験、体現なのではないかと。

五蓋(ごがい)についても英語で説明していただくよりも。どこか入門しやすい禅宗系の寺で自分の身体で体験した方が理解できるかもしれないと思った。

座禅というのは、「座る+ゼロ」です。(本書より)

仏教は哲学なのだな。。。。しみじみと思った。


英語の単語がよくわからない私なので、こちらに書かれている事を読んで頂けたらと思う。


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