ローラインガルスの生活レシピ~読書記録61~
日本では、2001年に、いのちのことば社というキリスト教専門の出版社から発行された。
図書館で借りたのだが、手元に欲しくなり、Amazonで中古本を購入した。
内容としては、ローラが新聞社や雑誌に投稿したコラムを聖書の言葉を交えながらの編集で、素晴らしいものなのだが、いつ、どこに載せたものだかの説明など一切なし。解説もなかった。
編集されたスティーブン・ハインズ。
訳された高橋芳江さん。
いくら検索しても情報がなかった。
これは、世の中にはクリスチャンしかいない。の観点から出版されたものではないのだろうか?
あまりにも偏っている。
内容は素晴らしいのだが、もっと一般の人も読めるようにして欲しい。(出典、解説、編者、訳者の紹介が欲しい)
けれども、ローラの生き生きした生活の元を知ると、嬉しくもなるのだった。
(編者の注釈に聖書の言葉があるのだが、ここでは省きます)
家に並んでいるものの中で真っ先に「追い出す」べきものは、同じような心配やあせりのようです。急ぐことをいっさいやめろと言うつもりはありません。実際、時には急ぐことも必要だからです。手早くすることとせっかちになることとは、だいぶ違います。
私は野菜を缶詰にするのをすっかり辞めてしまいました。その野菜も、うまく使えば十分バラエティーに富んでいますし、2、3ヶ月食べずに過ごしたあとでは、菜園の野菜もずっと美味しく感じられます。
しばらく前に、私の計画から年間行事的な大掃除が抜け落ちていたおかげで、みんなが随分楽な思いをしました。
大掃除の時期に気にすることといえば、春にヒーターを片付け、秋には取り出すということだけになりました。
それからというもの、年に2度の大掃除をしていた時のように、家がごちゃごちゃになることも、私自身が疲れ切ってしまうこともなくなりました。
他の人がどうしてそういう行動をとるのか、その理由がはっきりわかりさえすれば、その行動自体、随分違って見えてくることでしょう。
人を誤解したくないなら、できるだけ理解しようとすることです。
他人の欠点や弱点に見える点は。自分自身の偏見に過ぎない場合すらあるかもしれません。
私たちは自分のために自由を求めるのですから、他人の自由を喜んで認めるようになるべきです。誰でも自己表現の権利はあるのですから。
怒りは破壊的な力です。そして世界が必要としているのはそれと正反対のもの、人を励ます力です。
ほんの少し頭痛がすると、その事実を口に出します。その頭痛のせいで友人に迷惑を掛けたりしようものなら、言い訳として話す時には出来るだけ悪い状態にして話します。「もう、酷い頭痛でどうしようもないの」と言い出したとたん、本当にもっと悪くなってきます。苦痛というものは口に出すと余計に大きくなるものなのです。
私たちは、直したい欠点に目を向けるだけでなくて、向上したいと願うことに大きな注意を向けるべきなのです。もし私たちがどんな事柄であれ、それを改善したいと願うなら、改善された状態について沢山話さなければなりません。
頭痛がしても、楽しいことを話していればじきに忘れてしまうでしょう。
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