九十歳。何がめでたい~読書記録254~
2016年に出版された直木賞作家・佐藤愛子先生のエッセイだ。
佐藤愛子先生は、1923年、大正12年生まれ。まだまだ元気で過ごされておられる。
いやあ、実に爽快。楽しい。ウンウンと頷きながら読んでしまった。
和田秀樹先生曰く。若い世代の方は、老害だの、好き勝手に言っているだのの感想を持つ方もいるようだ。
イヤイヤ。そんな事は決してない!と断言したい。
幾つか、本書から転載したい。
「文明の進歩」は我々の暮らしを豊かにしたかもしれないが、それと引き換えにかつて我々の中にあった謙虚さや我慢などの精神力を摩耗させていく。
もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。私はそう思う。
我が国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の災厄に遭った時など、この言葉を使って諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。人の世は決して平たんな道ではないということを皆が知っていた。
かつての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。
この頃のこの国を。やたらにギスギスとして小うるさく、住みにくくいちいちうるさく感じるようになっているのは、何かにつけて雨後の筍のように出てくる「正論」のせいで、」しかしそう感じるのは私がヤバン人であるためだということがここまで書いてきてよくわかったのである。
(本書より)