きりこについて 西加奈子~読書記録241~
2009年 角川書店より発行。書き下ろし。
出版社より紹介文
きりこは両親の愛情を浴びて育ったため、自分がぶすだなどと思ってもみなかった。小学校の体育館の裏できりこがみつけた小さな黒猫「ラムセス2世」はたいへん賢くて、しだいに人の言葉を覚えていった。ある事件がきっかけで引きこもるようになったきりこは、ラムセス2世に励まされ、外に出る決心をする。夢の中で泣き叫んでいた女の子を助けるために……。
主人公は「きりこ」であるが、語り手は飼い猫であるラムセス2世である。
途中から、なんとなくわかってくるのだが。
「吾輩は猫である」も猫が語りてであったが、そんな形だ。
この話の言いたい所は、「容れ物」(いれもの)と「中身」だ。
「ラムセス2世!」
きりこが言った。
「分かってます。」
ラムセス2世はそう言って、優しく喉を鳴らした。何度も、何度も言うが、それは、きりこが世界で一番、一番、好きな音だった。
「うちは、容れ物も、中身も込みで、うち、なんやな。
身体は容れ物に過ぎず、「きりこ」は「きりこ」以外の何物でもない。
(本書より)
きりこの周りの人たちが猫の目を通して描かれるわけだが、味わい深い。
私としては、新興宗教に入ってしまった主婦に共感を抱いてしまった。
もしかして、あの宗教団体って、村上春樹の小説「1Q84」にも出るが、ヤマギシ会がモデル?
きりこの周りの人間たちは皆一様に弱い。
それは、日本人全てに当てはまるのだろう、と今更ながらに思うのであった。
猫は生まれ変わる。何千回も、何万回も死を繰り返したきた猫・・・
これは、佐野洋子の「100万回生きた猫」を意識しているのだろうか。
最後の終わり方が又良いのだ。
「世界は、肉球よりも、まるい。」
西加奈子さんは、猫好きなんだろうな、とわかりすぎるほどにわかる作品であった。
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