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大河の一滴 五木寛之~読書記録384~

大河の一滴 五木寛之 1999年


なんとか前向きに生きたいと思う。しかし、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった―。そういう人々へむけて、著者は静かに語ろうとする。「いまこそ、人生は苦しみと絶望の連続だと、あきらめることからはじめよう」「傷みや苦痛を敵視して闘うのはよそう。ブッダも親鸞も、究極のマイナス思考から出発したのだ」と。この一冊をひもとくことで、すべての読者の心に真の勇気と生きる希望がわいてくる感動の大ロングセラー、ついに文庫で登場。


まず、かなりショックな書き出しから始まる。著者が2度ほど自殺を考えた事があるというものだ。
そこから始まり、戦後数十年経ち、豊かな時代にあっての自殺者数の多さを作者の観点から各所に書かれている。警察庁が発表している自殺者数は亡くなった人の数であるから、未遂、或いは死にたいけど死ねなかったという人を含めると相当な数ではないか、と五木寛之先生は考えるのである。
これは本当に同感である。

存在するのは大河であり、私たちはそこをくだっていく一滴の水のようなものだ。ときに飛び跳ね、ときに歌い、ときに黙々と海へ動いていくのである。
本来、日本人の根っこには人情や日本的情緒といったウェットな世界があります。近代の知性はそうした情や、ルサンチマンを徹底的に毛嫌いしてきましたが、根っこにあるものを決して否定しきることはできませんでした。
しかし、それがいまや完全に枯渇してしまいつつあるのです。ダムは満々と水を湛えて(たたえて)こそのダムです。水がひからびて、ダムの底がひび割れ、魚まで死んでしまったような乾いた状態で、科学的かつ合理的なアプローチだけで人間の心をどうこうしようというのは言うだけ無駄な話ではないでしょうか。
人間の「情」とか「悲」、ルサンチマンなどを軽蔑するのではなく、或いは恐れるのではなく、人間の真の知性を育てる土壌としての感情、情念というものを豊かに育てることこそが、今の私たちにとっての大きな課題なのではないかと思われてなりません。(本書より)

浄土真宗の信者、特に蓮如上人が好きな五木寛之先生ならではの部分が感じられる本であった。


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