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善人のやめ方~読書記録12~

宗教家・ひろさちや先生の書。2012年出版ということで、出だしは、2011年の原発事故の件から。私たちは「世間」に騙されている。世間の騙しに引っ掛からない為のテクニックの本である。

ひろさちや先生は東大哲学科で学ばれた。小さい頃からの優等生であったが、ずっと努力して勉強してきた高校2年生の時に「自分の人生」を考え、大阪丸善でモームの「人間の絆」を買ってきたのだ。しかも、英語版で。英語でそのまま読む高校生というのが凄い。。。

この書は、主にモームの書から学ぶ事が書かれている。
「人間の絆」に於いて、「人生には意味がない」とあるが、ここで意味するのは、世間の言う「これが立派な人生」「有意義な人生」これが無意味という事。つまり、モームは
それぞれの人がそれぞれのしたいように人生を生きればよい。世間を気にせず、自分の好きなように人生を生きる。
と言いたいのだ。

モームはキリスト教嫌いであった。彼が8歳の時に父を、10歳で母を亡くし、牧師であった叔父に引き取られたのであったが、これが彼がキリスト教嫌いになるきっかけであった。
モームが嫌いなのは、クリスチャンであってキリスト教ではない!ひろさちや先生は考える。自分を善人と見做し、他人を糾弾する。そんなキリスト教徒たちを観てモームはキリスト教徒が嫌いになったのだ。そんなモームと考えが合うのはイエスキリストではないか。ヨハネ福音書8章に出て来る罪の女とイエスキリストの姿を重ね合わせるとそう思わせる。

1イエスはオリーブ山へ行かれた。 2朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。 3そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、 4イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 5こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 6イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 7しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 8そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 9これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 10イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」 11女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

キリスト教でもイスラム教でも完全な存在は神だけ。仏教では人間は煩悩だらけだ。宗教は人間を不完全な存在だと言う。不完全であっていいのだ。けれども私たちは完全になろうとする。つまり、善人になろうとする。
怠け者や引きこもりは、財界や産業界からしたら「利用価値が劣る」というもの。世間が勝手に判断する「人間の利用価値」である。

つまり!!私たちは、自分の欠点、不完全な部分を開き直って、世間の価値観にとらわれずに自由に生きたらよいのである。

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