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相撲に落語に保護猫たち 台東区・蔵前神社

蔵前神社の鳥居の前には、元力士の名前が沢山掲げられている。


実は恥ずかしい話。蔵前国技館に近いから現役力士が来るのだろうなんて思っていたのだ。ついでに言うと、私の脳内では未だに蔵前国技館で大相撲が執り行われているらしい。ああ、認知症婆さん・・・

「今は両国国技館に移ったから、力士は来ないよ」
と宮司さん。
本当に静かでのんびりした景色が流れている場所であった。

万緑の葉に囲まれて見えなくなっているのだが、こちらはこの神社を舞台にした落語「元犬」の碑とそれに関連するものがあげられている。



こちらは、毎日新聞2015年5月23日の記事だ。

シロも驚く”化けた”街
江戸時代、幕府の浅草米蔵があったことに由来する蔵前(東京都台東区)。落語「元犬」の舞台であり、かつて国技館があったことでも知られる。
今は若いクリエイターたちが集まるおしゃれスポットとして注目される界隈を、落語家の春風亭一之輔さんと、ぶらっと。

蔵前の八幡様に願掛けをして人間になった犬のシロが、奉公先で巻き起こす珍騒動を描く「元犬」。白い犬は人間に近いという俗信もあったという。その八幡様というのが、かつて岩清水八幡宮といった蔵前神社(台東区蔵前3)である。浅草橋から浅草に続く江戸通りから1本西側に入った一角に鎮座する。
「緑がまぶしいですねえ」。
境内を吹き抜ける薫風に。一之輔さんもほっと人心地をつく。

元禄6年(1693年)、徳川五代将軍綱吉が京都の石清水八幡宮を勧請。
昭和26年に今の名称に変わった。宝暦11年(1761年)10月場所に始まる勧進大相撲発祥の地であり、63連勝中の谷風が小野川に敗れた一番もここ。
「シロはここに37、21日、裸足参りしたんですよね。願掛け大事です。でなんでこの神社が舞台なんでしょうかね」
「ここは幕府が力を入れていた神社の1つだったんです」とは阿部康久宮司。「残念ながら狭くなりましたが、明治維新の時点で境内地は今の6倍ありました。霊験あらたか。夢がかなうっていうことだったんじゃないでしょうか」と推察する。
一説では、江戸の都市計画で北斗七星状に建立された神社仏閣の1つにあたり、パワースポットとして訪れる人もいるのだとか。
「なんせ犬が人間になっちゃうんですからね。興行が化ける(入りがよくなる)ようにと、寄席の初日にやったりしますよ」
人間になったシロは、変わり者をそばに置きたいというご隠居さんに奉公する事になる。とはいえ、犬の癖は簡単に抜けず、珍妙なやりとりばかり。名前を聞かれて、
「ただのシロです」
「ああ、タダシロウさんね」
「茶を焙じるから焙炉(ばいろ)を持ってきておくれ。そこの焙炉」
「ワンワン」
一之輔さんも
「今の人にも焙炉なんて分からないですよ。シロもなんで働きたいって思ったんでしょうねえ」
境内の一角に2010年に落語愛好家によって奉納された「元犬」の像がある。残念ながら白ではなくブロンズ像。
「この噺って、奉公初日の出来事ですよ。これだと先が思いやられますよね。これだと先が思いやられますよね。でもこれから一生懸命働くんでしょうねえ」
(神社に関する記事のみ)


こちらは、「新説・異説 私はこう考える」江戸の北極星信仰」と題するもので。帯広市の真宗大谷派「順進寺」坂谷徹念住職によって書かれたものだ。

江戸の北極星信仰
北天にあって動かない北極星、そのまわりを回る北斗七星は宇宙を支配する神とその乗り物として古くより信仰の対象となってきた。その信仰はわが国の仏教や神道にも取り入れられ、星を祀り、護国鎮守、除災招福の祈願がおこなわれてきた。
江戸の都市計画にも北極星、北斗七星の力が重陽されている。単純に鬼門に神社仏閣を建立するだけでなく、神社仏閣が北斗七星状になるように計画を練ったのだ。
どの寺社が星に該当するかについては諸説があるが、最近では平清盛に関連する神社がパワースポットとも絡んで話題になっている。しかし、都市計画をリードしていた天海は天台宗の僧であり、天台宗の優越性を人一倍信じていたのである。その天海が神社だけで北斗七星を構成したとすることには無理がある。
私は2つの視点から寺社を選んでみた。1つは領有所持する朱印地の石高であり、もう1つは現在地に遷座、寺社建立に至った経緯である。幕府の力の入れ具合と幕府の宗教政策の流れを見ようとしたのである。
江戸の町奉行の支配する町地にあり、朱印地が30石以上の神社は表1の通りである。

表1

上野東照宮は寛永寺と合わせて考える。根津神社は家宣の産土神であり、家宣の江戸入城にあたり家宣の家屋敷であった現在地が献納された。白山神社は綱吉の屋敷を建てるために現在地に遷宮させられた。いずれも将軍の屋敷がらみの移転であり、鬼門封じの色合いは薄い。また氷川神社が移転したのは吉宗の代であり、都市計画の骨格はすでに固まっていた。よってこれらの神社は対象外とした。
愛宕神社は防災の神様であり、防災上江戸にとって極めて重要な神社であった。他もすべて江戸の守護神、祈願所として大切な神社であった。

では寺院の方はどうであろうか。朱印地が500石以上は表2の通りである。

表2

増上寺は徳川家の菩提寺であり、他いずれも幕府の祈願寺として極めて大事な寺院であった。
又、江戸の都市計画で忘れてならないのは家光の側室であり綱吉の生母である桂昌院の存在である。家光の都市計画への情熱を大奥において日々感じていたが、家光は48歳で早世した。
しかし、なんとしてもその思いを遂げてあげたいという気持ちは変わらなかった。家光が亡くなって29年経った時チャンスがやってきた。実子綱吉が将軍位に就いたのだ。桂昌院は至高なな綱吉を動かし、護国寺、蔵前神社を創建した。どちらも桂昌院の私的祈願所のように言われているが間違いだと思う。それは天海と家康、秀忠、家光が描いた都市計画の宗教的要、北極星、北斗七星を完成させるためだったのではないだろうか。
私は、以上のことから、増上寺、愛宕神社、日枝神社、神田明神、蔵前神社、浅草寺、寛永寺が北斗七星、護国寺が北極星にあたると考える。


宮司さんが言われるには、春の桜の季節。このミモザが見事なのだそうだ。
春になると沢山の方が訪れ、テレビ中継の車などでご近所の皆様に申し訳ないのだとか。
御朱印も手書きだと大変だから、ミモザの咲く季節は書置きにしようかな。皆さんを待たせるのは悪いしね、と。


御朱印を待つ間、玄関には人懐っこい猫が数匹いた。
この猫は「クロちゃん」と言うメス猫で、ある日、何匹もの仔猫を連れて神社にやってきたのだそうだ。まるで救いを求めているようであった、とな。
仔猫たちは、「可愛い。貰いたいんですけど」と参拝者が貰っていかれて、今はクロちゃんだけだそうだ。
「子供がいなくなっても、ちっとも寂しがらないんだよお」
「毎日、私と寝てるんだよ」
と、猫かわいがりの宮司さんであった。

元禄の「元犬」シロちゃんならぬ、令和の「元野良猫」のクロちゃん。
ええ話やあああ。

万緑に 隠れし 江戸の歴史かな


蔵前神社
東京都台東区蔵前3丁目14−11
都営地下鉄蔵前駅より徒歩数分


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