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聖書における愛の実践~読書記録25~

聖隷福祉事業団(本部・静岡県浜松市)創設者、長谷川保氏、妻の八重子さんの著書。

長谷川保 1


聖路加国際病院はアメリカ聖公会、宣教医師トイスラーにより創設された。(戦時中は米英の施設として使われた故、東京都では空襲を逃れたのが築地地域である)
大阪の淀川キリスト教病院は、アメリカの長老教会、ブラウン宣教医師によって創設された。キリスト教系の大きな病院はアメリカ宣教団体が創設が多い中、日本人が創設した医療法人で、今やこれだけの事業団に発展した例は他にないと思う。
明治維新後、日本にキリスト教(主にプロテスタント諸宗派)が宣教され、有名な牧師も誕生したわけで、内村鑑三、植村正久、山室軍平らの名前が出てくるのが、私的には、とても嬉しかったりする。。。。
大正12年9月、関東大震災。その年の11月に植村正久牧師より、長谷川保氏は洗礼を受けている。そして、12月には軍隊へ。
大正14年、クリーニング店を創業。その得たお金より精神病患者や結核患者を世話をするということを決意されたのだ。

過越すぎこしの祭まつりの前まえに、イエスは、この世よを去さって父ちちのみもとに行いくべき自分じぶんの時ときがきたことを知しり、世よにいる自分じぶんの者ものたちを愛あいして、彼かれらを最後さいごまで愛あいし通とおされた。 夕食ゆうしょくのとき、悪魔あくまはすでにシモンの子こイスカリオテのユダの心こころに、イエスを裏切うらぎろうとする思おもいを入いれていたが、 イエスは、父ちちがすべてのものを自分じぶんの手てにお与あたえになったこと、また、自分じぶんは神かみから出でてきて、神かみにかえろうとしていることを思おもい、 夕食ゆうしょくの席せきから立たち上あがって、上着うわぎを脱ぬぎ、手てぬぐいをとって腰こしに巻まき、 それから水みずをたらいに入いれて、弟子でしたちの足あしを洗あらい、腰こしに巻まいた手てぬぐいでふき始はじめられた。 こうして、シモン・ペテロの番ばんになった。すると彼かれはイエスに、「主しゅよ、あなたがわたしの足あしをお洗あらいになるのですか」と言いった。 イエスは彼かれに答こたえて言いわれた、「わたしのしていることは今いまあなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。 ペテロはイエスに言いった、「わたしの足あしを決けっして洗あらわないで下ください」。イエスは彼かれに答こたえられた、「もしわたしがあなたの足あしを洗あらわないなら、あなたはわたしとなんの係かかわりもなくなる」。 シモン・ペテロはイエスに言いった、「主しゅよ、では、足あしだけではなく、どうぞ、手ても頭あたまも」。 イエスは彼かれに言いわれた、「すでにからだを洗あらった者ものは、足あしのほかは洗あらう必要ひつようがない。全身ぜんしんがきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。 イエスは自分じぶんを裏切うらぎる者ものを知しっておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言いわれたのである。
こうして彼かれらの足あしを洗あらってから、上着うわぎをつけ、ふたたび席せきにもどって、彼かれらに言いわれた、「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。 あなたがたはわたしを教師きょうし、また主しゅと呼よんでいる。そう言いうのは正ただしい。わたしはそのとおりである。 しかし、主しゅであり、また教師きょうしであるわたしが、あなたがたの足あしを洗あらったからには、あなたがたもまた、互たがいに足あしを洗あらい合あうべきである。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本てほんを示しめしたのだ。 よくよくあなたがたに言いっておく。僕しもべはその主人しゅじんにまさるものではなく、つかわされた者ものはつかわした者ものにまさるものではない。                              ヨハネ13章より

「僕」と言うふうに、口語訳や共同訳、新共同訳などでは訳されているが、ギリシャ語に近い表現では「奴隷」に当たるそうだ。ローマ帝国の時代、足を洗うのは奴隷の仕事であった。それをあえてイエス様がされた意味。これを長谷川保氏はよく理解されているのだと思う。
聖隷=聖なる奴隷である。

一時期、共産党にも入党されたが、その生活ぶりを見て脱党。そして、再び、キリスト教に。(やはり、キリスト教と共産党は違うのだ!!)キリストがなさったように、捨てられた貧しい病人の看病をする日を送るのであった。

長谷川保2

昭和14年には、天皇陛下から特別御下賜金を頂いている。

戦後、昭和21年に衆議院議員に当選された長谷川保氏は、社会保障制度の改革、生活保護法の制定に励まれた。それにより、「日本国民であれば、誰でも生活、医療、教育、住宅、総裁に至るまで、いざという時には、国家が責任を持ってその生活を守る」ということとなった。戦前、結核により、家族にも見放され、就職も出来ない、そんな人たちの事を真剣に思った熱意を感じる。

高齢者施設としてのエデンの園(老人ホーム)も作られた。

長谷川保3

浜松市の聖隷病院(昭和50年代)

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1987年の施設の写真。

聖書にある一粒の麦の話を思う私であった。このような先人の話を知り、自分勝手な生き方を改めたいと思うのであった。

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