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宗教消滅~読書記録29~

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東京女子大学教授で宗教学者である島田裕巳先生が2016年に書かれた書。

人類の誕生は:600万年前から700万年前と言われている。宗教の始まりがいつ頃かはわからないものの、宗教の存在しない国や民族というものはこれまで発見されいなかった。
しかし、現代社会を見ると、何かの宗教を持っている人は少なくなっている。野球で有名であったPL教団であるが、野球部廃部に追い込まれている。

それには、チーム内の暴力事件もあるかもしれないが、PL教団の信者数の減少、力の弱さなどもあるようだ。
関西圏ではPL教団と天理教。関東圏では立正佼成会と霊友会が大きな勢力を保ってきたが、最近は信者数の減少にある。しかし、こういった新興宗教だけではなく、古くからの宗教も衰退の危機を見せている。それには世界経済「セオリー(理論)」が存在している。これまでの人類の歴史は、政治、経済、宗教が絡み合うことで展開されてきた。
戦後、大きく信者を獲得した創価学会は、経済発展を軸にしている。創価学会の会員は学歴がかなり低いという調査が出ている。元公明党委員長、矢野純也氏は京都大学卒であるが、本当に稀なケースでほとんどは学歴が低く、単純労働となった。しかし、創価学会も前ほどの信者数はいない。

韓国のキリスト教会では、1958年にパウロ・チョーヨンギという人物が創設した福音教会がある。(ペンテコステと言われている。)シャーマニズムのようなもので、この教会はカリスマ牧師に酔いしれたり、信者が神がかりになったりする。実はこれが日本の創価学会にも似ているようだ。

そして、世界を見ると、ヨーロッパ、南米ではキリスト教離れが進んでいる。それには、キリスト教や仏教の「出家」が絡むかもしれない。仏教の僧やカトリックの司祭や修道女のように、俗世間との縁を断つのが「出家」である。
ところが、イスラム教には「出家」した人はいない。
イスラム教はすべて俗人なのである。そして、熱心なキリスト教徒や仏教徒が望む俗社会とは離れてではなく、経済面をも重視する。聖と俗が一体しているといえる。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教である。どこにでも偏在する神に対してどこでも祈ることができる。
けれども、日本の神道の場合は神社に行かないと神様に祈れない。神社に祀られた神は神社の外では影響力を及ぼすことがほとんどないのである。
フランスと同じように日本でも信仰に熱心なのは都市部ではなく、地方の人間であるといえる。それは既存の宗教であり、信仰宗教の場合は都市部となる。新興宗教の場合、一時期に信者が増えるのであるが、伸び悩み、減少となる。実は幸福の科学もそうであるようだ。
法隆寺は2015年から拝観料を値上げした。その背景には少子化による修学旅行生の減少もある。

今後、日本、いや、世界はどうなっていくのであろうか。
人類は今や宗教なき世界へと向かっている。宗教とはある意味、世帯間のものであるので、結婚しないで過ごす単身者世帯には必要ない。
高度経済成長により、家族も要らない、宗教も必要ない、という状態になった。それはすなわち、人間を必要としないということではないだろうか。高度資本主義こそが人類社会にとっての脅威なのかもしれない。宗教が消滅する世界は人類が消滅する世界なのかもしれない。 


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