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キリスト教と戦争~読書記録301~

宗教学者で、桃山学院大学教授・石川明人氏の著書。

世界最大の宗教、キリスト教の信者は、なぜ「愛と平和」を祈りつつ「戦争」ができるのか?殺人や暴力は禁止されているのではなかったか?本書では、聖書の記述や、アウグスティヌス、ルターなど著名な神学者たちの言葉を紹介しながら、キリスト教徒がどのように武力行使を正当化するのかについて見ていく。平和を祈る宗教と戦争との奇妙な関係は、人間が普遍的に抱える痛切な矛盾を私たちに突きつけるであろう。(出版社紹介)


著者はキリスト教信者である。ネルケ無方僧侶や私のように、元キリスト教信者などではなく、信仰を持った側から観た本だという事を頭に入れて読んだ方がいいと思った。

キリスト教信仰の国は何故に闘いが多いのか?
著者は、それこそ旧約聖書に出て来るモーセ、その後継者のヨシュア、宗教改革者であるルター、ジャンヌダルク。更には、有名な神学者のカール・バルトなどなど。宗教学的に哲学的に説明しようと試みている。

私から観ると、キリスト教、つまり一神教の排他性が全てであろう、と言いたい。
昔、伊勢佐木町の方にあるカトリック教会にて若い神父がこう言っていた。
「聖書にある、平和を作り出す人は幸い、は、イスラエルやヨルダンのような常に争いがある国で言われた言葉なのだ。だから日本人には本当の意味では理解出来ないかもしれない」と。

イスラム教の神、ユダヤ教の神、キリスト教の神。
更に言うなら、カトリックの神、プロテスタントの神と同じであるはずだ。
だが、争いが起こる。
それは、「自分の信じる考えが正しい」という強さからだと思うのだ。
旧約聖書にも、「私以外を神としてはならない」と書かれている。
他者を認めない姿勢は、イスラム教、キリスト教にも受け継がれているのだ。
一休さんのように、自分は臨済宗の僧侶だけど、浄土真宗でも日蓮宗でもいいですよ。救われますよ。というものではないのだ。

何故に、一神教の国は争いが多いのか。
多分、どっぷりとキリスト教の世界にいる人にはわからないと思う。

ただ、私はこの方が少し羨ましいとも思う。
本当に信じられるものがあるという事。
私にはないからだ。

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