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森村桂さん住宅跡地にて 日蓮宗不変山永寿院 私の百寺巡礼232

大好きな森村桂さんのエッセイに書かれていたが、離婚された最初の旦那様(元日本テレビスポーツ部の谷口氏)と住んでいたのが池上本門寺の近くの旧い住宅だった。

そうそう。大好きな森村桂さんが住んでいたという池上の住宅跡地に行く!と決めていたのだ。
それが、ここ永寿院前にある万両塚なのらしい。


森村桂さんが住んでいた住宅

旧森村桂邸
堤方権現台古墳の敷地には、昭和7年に木造住宅が建てられました。この家に最後に住んでいたのは、「天国にいちばん近い島」をはじめ多くのエッセイや小説を著した人気作家 森村桂さんでした。森村さんが転居した後、空き家となり、屋根が落ち、床が抜けた状態であったため解体。古墳の副葬品が発掘されたのは床下の土から、わずか30㎝のところでした。
(延寿院ページより)


寛永年間後半(1630年代)、本門寺16世 心性院日遠聖人の隠居所として開山。
関ヶ原の戦いでの軍功により、徳川家康に仕えた大名、備中庭瀬藩主 戸川逹安(とがわみちやす)が下屋敷を寄進したと伝えられており、逹安の法名「不変院殿覚如日真大居士」に因み、山号は「不変山」といいます。
堂宇が完成したのは、日遠聖人の弟子 日東聖人(本門寺17世)によるもので、当初は日東聖人の法号に因み「蓮乗院」とよばれていました。
その後、お万の方の方の孫芳心院(紀州徳川順宣の娘、鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け「永寿院」と改称。揚羽蝶の寺紋も池田家からたまわったといわれています。
宝永5年(1708)に没した芳心院の墓所は、造営に一万両はかかったであろうとの風説から通称「万両塚」といわれています。(永寿院)

私の思い込みが酷いものだったのか。。。
こちらのページを見つけるまで、てっきり池上本門寺の一部だと思っていたのだ。住職、修行僧も兼務なのだろうと。
末寺ではあるが独立している。申し訳ない。


お寺の本堂にお参りというよりも、昔の遺跡を観るのが目的になってしまったか・・・
すぐ隣の池上本門寺では桜がまさに見頃であったが、こちらはチューリップの花に癒される。
森村桂さんもチューリップのイメージだな。


こちらは妙見坂だ。永寿院に行くには、この石段が近い。
森村桂さんのエッセイを読みながら、大田区ってそんなに坂がキツイかなあ?と思っていたのだが、イヤイヤ実際に行ってみると、これは大変だ。
今なら池上近辺も色々な店が出来たが、昭和の時代は買い物も本当に大変だったろうなと思う。

お寺全体を囲むチューリップが印象的であった。

坂の上 亡き人偲ぶ チューリップ


日蓮宗不変山永寿院
東京都大田区池上1-19-10
東急線池上駅より徒歩15分

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