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加田伶太郎全集 福永武彦~読書記録332~

純文学作家・福永武彦が加田怜太郎というペンネームで発表した推理小説集である。短編ばかりで読みやすい。


福永武彦が加田伶太郎(かだれいたろう)のペンネームで発表した「完全犯罪」「幽霊事件」「温室事件」「失踪事件」「電話事件」「眠りの誘惑」「湖畔事件」「赤い靴」の傑作探偵小説8編に、随筆「素人探偵誕生記」を併せ収めた異色の一巻。文化大学古典文学科の助教授で、自ら安楽椅子探偵を以て任ずる伊丹英典(いたみえいてん)氏は、ワトソン役の研究室助手久木進君を伴い、お得意の分析力・想像力・論理力を駆使して、あわや迷宮入りかと思われた難事件・怪事件を颯爽と解決する。
他には、船田学という名前で書かれたSF小説3遍もある。


ただ、旧い本で、その後再販はされていないのだろうか。漢字が旧漢字が多く、考えながら読んでしまった。
平成育ちの人には、そこでつまずくかもしれない。

1918年3月19日 - 1979年8月13日
福岡県二日市町(現筑紫野市)生まれ。開成中学・第一高等学校を経て東京帝国大学文学部仏文科卒業。1945年、治療と疎開のため北海道帯広市に移り、3ヶ月ほど滞在したのち一時東京に戻るが、翌年再び帯広に渡り、帯広中学校の英語教師として赴任する。その年に処女作「塔」を発表。しかし冬に肋膜炎を再発し、1947年秋に手術のため上京し、清瀬の東京療養所に1953年まで入院した。
その間に同級生(旧制高校)の中村真一郎、加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成し、日本語での押韻定型詩の可能性を追求した。戦後この三人で、『1946年・文学的考察』を刊行し、戦場での体験や左翼運動を経験した第一次戦後派作家とは距離をおいた文学活動をはじめた。
1954年の長編小説「草の花」で、作家としての地位を確立。人間の心理を奥深く探る方法で、多くの長編小説を発表した。中村真一郎とともに堀辰雄の薫陶を受け、『堀辰雄全集』の編纂にも何度もかかわった。学習院大学で長く教鞭をとり、ヨーロッパの最先端の文学動向をよく論じた。ボードレールなどの翻訳や芸術家を主題にしたエッセイでも名高い。古典の現代語訳も多く試み、『日本書紀』、『古事記』(現:河出文庫所収)『今昔物語集』(現:ちくま文庫所収)の翻訳は高い評価を得ている。
また、中村真一郎・堀田善衛とともに「発光妖精とモスラ」(のちに筑摩書房)を書き、映画「モスラ」の原作となった。また、中村真一郎・丸谷才一と組んで、西洋推理小説をめぐるエッセイ『深夜の散歩』(早川書房のち文庫化)を刊行し、さらに加田伶太郎の名前で推理小説を書き、のちに『加田伶太郎全集』全1巻で刊行されている。
幼少時にキリスト教伝道師である母親のもとを離れて、父親に預けられた。母親との約束を守り、父親は開成中学時代までは教会に武彦を連れて出席した。しかし、その後武彦は教会から遠ざかる。死の二年前1977年、クリスチャンになりキリスト教朝顔教会の井出定治牧師により、病床洗礼を受けた。死ぬまでの二年間は教会に通い、聖書をギリシア語などで、原典に忠実に読んだ。1979年、脳内出血で死去。朝顔教会で教会葬を行った。同人仲間の原條あき子(詩人、2003年没)との間に作家池澤夏樹がおり、声優池澤春菜は孫娘である。


福永武彦は、海外のミステリーをこよなく愛した人なのだなとつくづく実感できた。
やはり、探偵小説の定番というと、シャーロック・ホームズと助手のワトスン博士だ。その役目を伊丹助教授と助手でしているわけだ。

作者があとがきしているが、ペンネーム及び、探偵の主人公の名前はアナグラムなのだ。
加田怜太郎(Kada Reitaro)←「誰だろうか」(Taredaroka)
伊丹英典(Itami Eiten)←名探偵(Meitantei)
と、こんな具合だ。

ディクスン・カーやエラリー・クイーンなど原書で読まれているな、と思えた。
長編は書かれなかった。又、こちらに納められたものしか推理小説は発表されていない。そこが又良いのだろう。


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