『はてしない物語』 こうして心に刻まれる
こんにちは。くわっちです。
怒濤の八月が終わり、久々のnote更新となりました。
書こうと思えば書けたと思うんですが、少し間隔が空いてしまうと重い腰が上げられなくなってしまいますね。Twitterでの投稿で満足してしまってまとまった文章を書かなくていいかと思ってしまうのと、忙しさにかまけてしまいました。反省して、週に一度くらいはnoteにも文章を投稿するように習慣づけていきたいと思います。
改めてよろしくお願いします。
さて、Twitterには投稿していたのですが、八月の終わりに、小学四年生の息子への『はてしない物語』の読み聞かせが終了しました。
読み始めたときは最後まで読み続けられる自信は全くなかったのですが、思いのほか息子がのめり込み、読んでる私自身もすっかり楽しくなりました。おかげでなんとか最後までたどり着きました。
寝る前の読み聞かせなので、就寝が遅いときや私が出張の時などは読めず、飛び飛びになってしまっていました。それでも意外と早く最後までたどり着いたなぁというのが正直なところです。
一日一章を目安に進めていましたが、息子が早く寝てしまった次の回では、少し後戻りしたりしながら、少しずつ読んでいきました。
noteでも前述した通り、バスチアンがファンタージエン国に入って行く後半からは読むスピードも加速。読むのも慣れましたし、息子も食いついてきたので、そこからはあっと言う間でした。
そして最後の日。
ある一節で、読み手である私が、嗚咽でまったく読めなくなってしまいました。今思い出しただけでも涙がこみ上げてきます。
もはや名前を持たない少年は、雪にひざまずいた。そこには粉々になった絵があった。すべては終わってしまった。生命の水に導いてくれるものは、何もなくなってしまった。
少年が顔をあげると、涙にかすんだ目に、少し離れた雪原に立つ二つの姿がおぼろげに見えた。大きい姿と小さい姿。少年は涙をぬぐい、もう一度見た。
ここで改ページ!
白い幸いの竜フッフールと、アトレーユだった。
この一文は、むせび泣きながら読みました。
少年時代にこの本を読んだときも、たぶんこのシーンでは泣いたと思うのですが、今回は息子と一緒にこのシーンを体験したので、感慨もひとしおです。
ああ、この物語を読み聞かせてここまで来れたのは幸せなことだとつくづく思いました。
息子も一緒になって涙に濡れて、その日は一気に二章分読み終えた後も、物語を反芻して楽しみました。
おかげでこの本は息子にとっても最高の物語として心に刻み込まれたことでしょう。私が少年時代に読んだこの同じ本。布表紙はすっかりすり切れて、題名やアウリンももはや判別できませんが、私たち親子をめくるめく読書の世界に引き込んでくれました。
小学四年生なので、自分でもいろんな本を読むようになった息子ですが、読み聞かせはまた別の面白さがあるようです。私自身も、読むだけに比べて言葉のリズムや言い回し、登場人物によってセリフの声色を変えてみるなど、いろいろと楽しむことができました。
子どもの頃に読んだ本でも、新たな発見があるものだなぁと改めて感じました。
そんなわけで、これからもしばらく読み聞かせは続けていきたいと思います。
今は、同じミヒャエル・エンデの『モモ』を読んでいます。「時間どろぼう」の存在が明らかになり、モモとジジとベッポと子どもたちによる反抗運動が始まろうとしています。
息子もすっかり『モモ』の世界にどっぷり浸かっているようです。
親子読書体験はまだまだ続きます。
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