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#04 陰陽論 / 臨床の周辺

六銭堂鍼灸院 藤原典往

『積聚会通信』No.27 2001年11月号 掲載

江戸時代から「医学を志す者は、まず易を学ばなければいけない」といわれ、近年にも、医易に関する本が何冊か出版されている。しかし、易の書である『易経』を読んでも今一つ接点がつかめない。東洋医学を解説する本には陰陽五行説のことが大抵冒頭に書かれていて、色体表などで国家試験の時にも大分御厄介になったが、易と陰陽五行説とはどのような関係にあるのだろうか。
 
易は周代に行われていたということで「周易」とも呼ばれ、陽を表す剛爻と陰を表す柔爻が6本重なって1つの符号を作る。これを卦といい、この卦に占う事柄の現在過去未来を象徴的に表していると見立てて、そのイメージから吉凶を占う。
 
漢代には、天人合一説や災異説の影響で自然現象に対する関心が強まった。
 
これは政治と天変地異は互いに影響しあうというもので、どちらも乱れれば国家を脅かす事柄だったためである。自然科学の発達とともに、太陽の動きや月の満ち欠け、四季の移り変わりなどの自然現象が易によって解釈された。この時、鄒衍(すうえん)によって説かれた陰陽五行が易の中に含まれた。これを「象数易」または「漢易」という。
 
「周易」と「象数易」の違いの特徴は吉凶の捉え方にある。「周易」は「変易」とも呼ばれ常に変化することを前提としていて、絶対的な吉凶はなく、占われる状況によって変わってくる。これは吉凶が現時点では吉であったとしても次の瞬間に凶になることもあり、またその逆もあり得るからだ。だからできるだけ占う的を絞って易を立てないと訳が分からなくなってしまう。
 
しかし「象数易」は五行の相生相剋関係によって吉凶がハッキリと示される。占う事柄が金の性質を持っていればその相手が水象であると相生関係にあり吉となる。火象であったなら凶である。
 
秦始皇帝によって、それまで小国の集まりであった中国が統一され、漢代に古代中国の文化は劇的な発展を遂げた。医学も例外ではなく『黄帝内経』としてまとまりを見せた。
 
その中で「易」は天文学、暦法、音楽、兵法、数学、化学などあらゆる分野の学問に影響をあたえ、また理論的根拠となった。易は常に変化する、決まった形がない自由なものである。どんなものでも包み込んでしまうことができるのだ。
 
かつて、日本では学者といえば儒学者を指すが、『易経』は儒教の聖典とされる四書五経の筆頭にあげられ、盛んに研究が行われてきた。かたや陰陽五行説は呪術的な分野で伝承され、祭礼や暦、算命などに残されている。一般的によく知られるものには相撲の土俵がある。四角く土が盛られ地を表わし、四方は東西南北を指す。円形に俵が敷き詰められているのは天を表している。
 
東洋医学で扱われている陰陽五行説は、日本でいわれている「易」ではない。五行説が含まれる「象数易」である。「象数易」は呪術色が強く、日本ではあまり研究されてこなかった。この辺の経緯が今の日本での医と易のつながりが分かりにくい原因になっているのではないだろうか。