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里帰り初産の自然分娩出産レポ

無事出産した

2022年12月17日(土) 13時41分、私は自分がうまれた地元の病院で女の子を出産した。
49cm、2620g。お腹の中にいた期間は38週と6日。
無事に顔を見て産声を聞くことができた。

その日はこんな日だったのよ、と娘に語りかける日が来るのだろうなと思っていたが、早朝に病院に行ったためその日の天気も気温もよくわからない。
バイク川崎バイク(BKBの人)と同じお誕生日の12月17日。

コロナのため立ち会いも面会もNG。
そんなわたしの初産の記録を残しておきます。

出産当日の様子

まとめると、子宮口2cm の状態から2時間で全開になるという超スピードお産。激痛タイムもきゅっと短かったため、もう本当に覚えてない、痛み感じたっけ?レベル(いや感じはしたか)。
先生助産師さん、そして出てくるの上手すぎた娘、最後まで無事を願ってくれた家族に感謝感激!詳細も一応書いたから見たい人はここからどうぞ!(出産後の分娩室で点滴されながらまとめておいたメモを見ながら書いたよ!)

3:30

10分感覚の痛みで目が覚める。そこまで痛くないが規則的だったため、産院に電話。入院の準備して来てくださいとのこと。
きたきたきた〜〜!と思いながら、ハイテンションで9割準備完了していた入院バッグに足りていないものをつめて、父母の寝室へ。
病院連れて行って〜!と父母に声をかけ起きてもらう。
母は、すっかり準備が完了している私をみて、「ちょっとまって、ちょっとまって」とてんぱっていた。(そうなるよね、急に起こされたら陣痛きた言うてる外出準備バッチリの妊婦が目の前にw)
父とはお家でお別れ。「頑張ってこいよ〜!」って見送ってくれた。

5:30

病院到着。院内本人しか入れないので母とここでバイバイ🥲そのままモニターつけてNSTで赤ちゃんとお腹の張りの様子をみる。
4分間隔の痛みあるもまだ全然余裕で痛みのある時間も話せるくらい。
看護師長さんが「お母さんお産何時間だったか聞いてる?」というので、「6時間くらいだったと思います!」と答えると、「あらはやい!じゃああなたもすぐ生まれるかもね!」と言われる。お産のスピードは遺伝するのか!と思う
助産師さんが内診してくれるも、指が届かないくらいまだ位置が高いらしい。お産のスピードは遺伝するのか?と思う

7:00

いったんNST外して個室に案内される。
この時間に持ってきた荷物の荷解きをしておいたの大正解だった!
これから出産の皆様、荷解きはぜひ余裕ある時にやって置けるとよいです!!!
まだまだどんな姿勢でも耐えられるくらいの生理痛みたいな痛み。
「朝ごはん食べれるじゃろ?」と助産師さんに聞かれて、ハイッ!!と返事して朝ごはんを出していただいた。
朝ごはんを完食し、はみがきする。

9:00

2回目のNSTをするため分娩室に移動。
先生出勤されたので内診する。
「もう5cmとか言われたりして🤭」とか甘いこと考えてたけど、
「1cmくらい!」って言われる。デスヨネ
前駆陣痛かもしれないと言われ、長期戦を覚悟しつついったん個室に帰される。
個室で、母が私を産んだとき6時間だと思っていたが実は16時間だったのかもしれない、見間違いかも…?と思う(実際には6時間で合ってた)

11:00

3回目のNST。
子宮口については「2cm!…1.7cmくらいかな!」って言われる🥲
息吐くのに声出ちゃう痛みがたまに出てくる、これで2cmなの?!とちょっと絶望!!
まだまだそうだし、お昼食べたらシャワー浴びよっか〜と言われ個室へ。

12:00

お部屋に戻るとお昼ご飯がきた。
でも全然食べられず、れんこんのきんぴらを陣痛の合間に3枚食べる。あとトマト。
あと眠たくなってきて、正座したままウトウトしては2分おきに来る痛みに耐える。

12:30

痛みの種類がさっきと変わってくる。
さっきまでは、お腹の中で何かがぷくーって膨らんできてパンパンになるような痛みだったり、子宮をぎゅって握られるような痛みだったのが、
おしりの方にぐっぐっと来るような、いきみたい感覚になる。
最初はあっこっちの痛みの方がさっきのより楽かも!と思う

12:45

おしりアタックが激つよになる。
痛みが辛いというよりは力を入れてはいけない辛みがすごい、無理!力入ってしまう!
痛みが来るたびに声が出る。個室で良かった!!!と思いながらうーうー言う

13:00

いきんだらダメとわかりつつ、どうしても力入っちゃうのでどうしていいかわからず、助けを求めナースコール。
さっき2cmだったし何も変わってないだろうと思いながらの内診。
「えっ、、、全開やわ」って言われる。
全ての助産師さんと先生が夜までかかるわって思っていた(もちろん私も)ため、その場にいたみんなびっくり。
そして全開聞いた途端めっちゃ元気になるわたし、なぜかここで余裕が生まれる😹感じる痛みがちょっと和らぐ(なんでやねん)。
これがマックスか!ならいけるわ!!よっしゃ来い!のお気持ち。
お産の準備スタート!

13:20

準備中なのでまだいきめない。引き続き力を入れちゃだめな時間。
「ふ〜〜〜ってしてー!」って言われるも力がどうしても入る私「ああああちからがはいるううう」と痛みと共に何度か言うw
いきみ方教えてもらって何度かいきむ。
痛みより、お股に置かれている手がくすぐったいのかなんか違和感でそっちを気にしちゃうくらいに、全開って言われたあとの心の余裕がすごかった

13:40

「まだ行けるならもう一回息吸って5秒いきもう!」と言われいきむ。
なにかでた感覚、ちょっと間があって産声が聞こえてとても安心した。

おまたをちくちく縫われながら分娩台の上で家族に電話で報告した。
10時ごろに夫から来ていた連絡に返信できず、いきなりその3時間後に生まれたよの電話をしたので、お産の進みのはやさと、電話口の声の元気さにとてもびっくりしていた。

分娩台の上でそのまま2-3時間くらい過ごして、部屋に戻る頃にはじわじわ気づき始めていた会陰切開の痛みがこんにちはしていた。痛い。これは痛い。そしてしゃがめない!と思っていた矢先、部屋で地面にスマホを落として、しゃがめないためしばらく床に落ちたスマホを見つめていたのも今となってはいい思い出。
その日の夕食がお部屋に運ばれてきて、「チキン南蛮だ〜!」と喜んだら、助産師さんに「元気ね〜!」と言われた。

その日は W杯の3位決定戦だったが、この日は見ないことにして、次の日の決勝戦は病室でしっかり見た。
W杯、実家で父母(そして胎動ドンドコの👶)と見てたのにな〜〜、最後だけ一人病室で見た!全部一緒に見たかった!(贅沢言う)

そんなこんなで無事に娘と会えました。

お産のアドバイス

初めてのお産はわからないことばかりだから異変あれば直ぐナースコールして先生や助産師さん頼るべし!!(言われるがままシャワー行ってたらシャワー室でうんでたかもしれんw)

この方の投稿読んでいたおかげで、「痛みの種類が変わってくるらしい」という知識だけあったので、とても助かりました!!!

出産後、実家での様子

34週で実家にもどったので、11月初旬から3月末まで実家で過ごした。
大学時代でさえ、長くても1ヶ月くらいしか連続で実家にいることがなかったため、18で上京してからこんなに長く実家にいたのははじめてだった。
妊婦期間は、父母私で W 杯を見て、出産後は父母私娘で WBC を見た。愛情しかない実家で過ごす半年はそれはそれは最高だった。

出産前

もともとの出産予定日は12/25。
クリスマスもお正月も病院で過ごしたくない!クリスマスには退院していたい!という私のエゴと、クリスマスケーキとお誕生日ケーキの間隔はちょっとはなしたい!という私のエゴにより、正期産の時期になると陣クスとよばれるものはすべてためそうという気持ちでいた。

まずはたくさん歩いた。36週に入ると雨の日以外は1日1万歩歩いた。37週は1日1万2000歩、38週は1日1万5000歩と、大きなお腹で地元を毎日てくてく歩いた。あとスクワットもした。
地元は田舎なのでお散歩のお目当てを考えるのが難しく、たまに遠くのスーパーに買い物に行く母の車に一緒に乗り、そのスーパーで母と別れ私だけ歩いて帰るなどしていた。
臨月の妊婦はまーーーじでお手洗いと大親友。お散歩コースにはちゃんとお手洗いに入れそうなところが複数あるコースを選ぶことだけを考えた。

special thanks, ピクミンブルーム。
ピクミンたちが一緒に歩いてくれたからお散歩たくさんできたよ

38週4日目にオロナミンCも飲んだ。
炭酸の強さにちびちび飲んでいたら、そんなにおいしくなさそうにオロナミンCを飲む人をはじめて見た、と父母に笑われた。
ちなみにこのときに飲んだオロナミンCの瓶は、出産を終えて家に帰ってきたら、陣痛につながった効果があったものとしてみなされ、家に飾られていた

そんなこんなで予定日より8日お産が早まって、クリスマスもお正月も病院でなく実家で過ごしたし、娘の誕生日ケーキとクリスマスケーキはきっとこれから先別になるだろう。

12/23に退院した。
東京で出産する人たちからは考えられないと思うけど、個室で5泊の入院で、手出しはなんと2万円。最初20万かと思ったら、桁が違った。相部屋であれば手出し0という、もう最高としか言いようのないお支払いを済ませ、迎えにきてくれた母の車に乗った。

出産後

実家でたくさんのサポートを受け、私も娘も、身体も心もとても元気にすごした。
産後こんなにも自分が心穏やかでいられたのは確実に実家での手厚いサポートのおかげだと思う。
産後はメンタルボロボロになるっていう予習だけはできていたが、本当に何も変わらず実家でただただ楽しく過ごせた。

毎日母と一緒に娘の沐浴をした。
よく寝る子だったので、沐浴のために起こすこともあったが、それでも泣かずに、ほ〜という口をして気持ちよさそうにお風呂につかっていた。
お湯の温度調整は母がしてくれた。自分のことをゆばーばって言っていた。

父は、母が娘を抱っこしているとすぐに「怖かったね、怖かったね」といって奪いに来たし、たくさん話しかけていた。
私が一度も言われたことのない「かわいい」を娘には何度も口にしているのを聞いた。

はじめての育児にはわからないことがたくさんあるが、1つ1つ、どんなに小さなことでも子育ての先輩に相談でき、徐々に私も育児に慣れていった。

3月に弟の結婚式が福岡であったため、そこで夫と合流し、東京に戻ってくるスケジュールになっていた。

時間が経つのは本当に早くて、3月なんてまだまだ先だと思っていたのにすぐに来た。

弟の結婚式は無事結び、次の日。

福岡のホテルから、車で実家に戻る父母を見送る。
「泣かんで帰りなさいよ」と娘に話しかける父。
「みーさんも身体に気をつけて頑張るとよ」と私に言う母。
もうこの時点で言葉を発すると大泣きしてしまいそうだったので、「👍」ってして父母とわかれた。
出発した車を見ながら、自分でもおもしろくなるほど涙がでた。
寂しさと、責任をどっさり感じた。

里帰り終了、東京へ

東京に戻ってきた。
その日の沐浴で、娘が泣いた。今まで一度もお風呂で泣いたことない娘が。
ごめんね、という気持ちと、母がいない寂しさと、この先大丈夫なのかなという不安でいっぱいになって一緒に泣いた。
娘が寝た後も不安で不安で娘の隣でずっと泣いていた。

次の日はお食い初めだったのに、目が腫れた写真になってしまった。

しばらくは不安と、超ホームシックで気分が沈見まくっていたが、育休をとってくれた夫と、娘の育児を必死にしていたらちょっとずつ気持ちに余裕も持てるようになってきた。

早いものでここから4ヶ月も経った。
ずっと天井をみていた娘はもう自分で座ったり、ソファやテレビ台や私に捕まって立つことだってできる。
よく笑うしよく声も出す。離乳食だって食べる。
毎日毎日可愛いが更新され、新しくできることがどんどん増える。

私にとって、里帰り出産の選択は大正解だった。
里帰りから帰った時の、自宅での動線の引き直しとか、そういったところはもちろん必要だったけどそんなに大変なことではないし、夫には寂しい思いをさせてしまったと思うのでそこだけはごめんねという感じだけど、それ以外はもう最高!はなまる!!!

サポートしてくれ、この選択を受け入れ応援してくれた全ての人たちに心からの感謝を。

ベビーモニター越しに寝ている娘を見ながら、出産7ヶ月後にようやくこの note を公開する(なんと明日でちょうど 8ヶ月!)。
娘よ、たくさんの愛情をあげるから、一緒にたくさん笑って楽しくすくすく大きくなれ!


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