月読神社訪問記

ツクヨミさまに関心を持ったのはいつからかな? って思い返してみた。

そうだ!立花大敬さんのお話を聞いたときだ!

月の神様を知ることで、イスラムの人たちのことをもっと理解できるようになる、というようなお話だったと思う。

で、ツクヨミさまについて調べてみようと思ったのが始まり。図書館で本を借りたり、ネットで検索したりして、調べていくと、なんだか自分が考えていた方とは違う。というか、本やネットの内容がしっくりこなかった。

特にしっくりこなかったのは男性の神さまってこと。なんとなく、ツクヨミさまは女神さま、というイメージがずっとあったのです。

で、お参りしてみようと思ったのでした。

月読神社はとってもいい雰囲気の神社でしたよ

私がお参りさせていただいたのは、京都は京田辺市にある月読神社。こちらの神社では、ツクヨミではなく、ツキヨミと呼ばれています。そう、お伊勢さんと同じ呼び方。

お参りさせたいただいた日は、3月、いや4月下旬だったか・・・。なんとお参りさせていただいた日を忘れてしまった・・・。

ばちあたりな奴です <(_ _)>

ただ、月読神社さんへお参りするとき、最初は京都西京区にある月読神社へ行こうと思っていたのです。こちらの神社、壱岐から勧請された神社として有名で、歴史もあって、やっぱりここかな? って思っていたのです。

ところが、お参りしようと考えていた日が、雨で、妻も用事ができて行けなくなったんですね。

で、予定を変更して、改めてお参りすることに。でも、それからなかなか連休が取れなくて。じゃあ、ということで。自宅から1時間以内で行けちゃう京田辺市の月読神社さんにしようと。

いや、これって、ほんといい加減というか、失礼というか・・・。

こちらの月読神社は、大同四年(809年)に大住山で霊光を拝したのでこの地に神殿を建てたのが始まりとされています。ご祭神は、月読命さま、お父さんの伊邪那岐尊さま、そして、伊邪那美尊さま。

今は、静かな境内で、地元の方がお参りに訪れるという神社ですが、かつては、源頼朝さんが神馬を献上されたり、幕末のころには戦火を避けるため、石清水八幡宮の御神体が遷座されたりと、とても有名な神社だったのです。

お参りさせていただいた日は、晴天で少し風が強いけれども、風が心地よく、過ごしやすい日でした。先にもご紹介しましたが、こちらの月読神社の境内は、とても静かで、でもとても気持ちが落ち着く、いい雰囲気なんです。

私がお参りさせていただいたとき、地元の方が、何組もお参りに来られていました。この風景を見て、今も大切にされているんだなって感じました。

で、です。お参りをさせていただいたのですが、その時、不思議な体験をしたんです。と、いっても、声が聞こえたとか、何か不思議な現象を見た、といったことではないのですが。

拝殿の前に立ち、柏手を打って、お参りさせていただいたお礼と、お願いをして拝殿から離れようとしたとき、今まで強く吹いていた風がピタッと収まったのです。それも2回も。

2回というのは、お願いし忘れたことがあって、改めてお願いしたのです (;^_^A で、その2回とも、風がピタッとやんだんです。

そして、お参りし終わってから、神社内を散策しているとき、目の前を鳩が横切ったのです。しかも、ゆっくりと歩きながら。私の前を通り過ぎても、そのまま歩いて行ったんです。私のことなんかまるで眼中にないって感じで、です。

「不思議だな」ってなんとなく感じたので、家に帰ってからネットで調べてみたら、風が吹くというのは神社に歓迎されているサインだと。

と、いうことは、ツクヨミさまはとっても喜んでくださった、ということ。このお話を読んで、行ってよかった~って心から思えたんです。

そして、鳩の件ですが、鳩が目の前を歩いて通り過ぎる、ということも、来てくれてうれしいよ、というサインだと。

きっと、風がやんだことだけでは気づかなかった私に、ツクヨミさまが「もう、鈍いな! これで分かる?」って見せてくださったのでしょう。

ほんと、すみません。お気持ち察することができませんでした・・・(^-^;

そして、そして。西京区の月読神社さんへ行こうとしていたけど、いろいろあって、こちらにお参りさせていただくことになった、ということもお導きがあったんだなと思うのです。

さらに、さらに、さらに。といってもテレビショッピングではありません (^^ゞ 

月読神社でお参りを済ませてから、「そういえば、帰り道にわんこのお墓があったな」と思い出し、ナビに住所を入れたのですが、ナビが動かない 

(。´・ω・)?

そう、全く動かないんです。「おかしいな? GPSがちゃんと動いていないのかな? でも、今日は晴れていて問題ないはず」 雲が多いときは、私のナビは現在位置を見つけることができなくて、うまく動かないことがあるのですが、今日はそんなお天気ではない。

何回か試してみてもダメ。で、「ひょっとしたら、今日はこのまま家に帰りなさい」 ってことかもと思い、ナビに帰宅ルートを設定すると、ちゃんと動くんです。

「ああ、やっぱり。きっと、寄り道するとなにかあるんだな。それを教えてくださっているんだろう」 そう考えて、わんこのお墓には寄らずに帰宅したのでした。

お参りさせていただいて、確信したのはツクヨミさまはやっぱり女神さまだよってこと

お参りさせていただいて感じたこと。それは、神社の雰囲気がとても柔らかかったということです。

神社の伝記にも、ツクヨミさまは、アマテラスさまの弟で、男の神さまと書かれていました。でも、私の感覚では、この柔らかさ、包み込むような優しさは、やっぱり女神さまということです。

どう違うのか? ということですが、私が小さなころ住んでいたところの近くにあった神社。こちらの神社のご祭神は、スサノオさまでした。長くお参りする機会がなかったのですが、また、近くに引っ越してきたことをきっかけに、たまにですが、お参りさせていただくようになりました。

お参りすると、優しく迎えてくださっている、という感覚があるのですが、でも、なにか、ピンと張りつめたような空気感があります。ここが違うなと。男性と女性の違い、というのでしょうか。神さまの性格の違いかもしれませんが。やっぱり違いを感じるのですね。だから、やっぱり、ツクヨミさまは女神さまだと。

まぁ、私の勝手な感覚、思いですが。

と、いうことで。ツクヨミさまをめぐる探索は、ここでひとまず終了。これからは、縄文時代から弥生時代の人々の生活を探索していこうと考えています。

縄文時代の生活って、ある方のお話を読んだのですが、とても魅力的な生活をしていた、と感じたのです。今の日本にはない、優しさとか、余裕とか。そして、それに続く、弥生時代も魅力的な社会であったと。

住みにくい世の中になってきた、と感じることが多い昨今。せめて、空想でもいいから、柔らかな、そして、豊かな生活を体験できればいいな、と思っています。

と、いうことで、本日はここまでです。最後までお付き合いいただきありがとうございます <(_ _)>

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