見出し画像

💭憧れは自分を動かすことができるのか?

数年前、手書きの日記(手帳)を公開されている大好きなブロガーさんがいました。
絵も文字も可愛くて、書かれている内容は彼女の大好きなもので溢れていて。
フリーペーパーを発行された時は大喜びで印刷しに行ったし、一年ほど発行されたそれは今も大切にファイリングして取ってあるし、今もたまに読み返しています。

とにかく発信するのが楽しくてたまらない!というのがブログや紙面を通して伝わってくる方で、いつも新しい記事が大好きでした。
真似して描こうとした日記手帳は私には続かなかったけど、私の好きなものを確立してくれた大切な存在です。

彼女はとある世界の大ファンで、初心者ながらに可愛いイラストや手書きで魅力を発信してくれていて、彼女をきっかけにその世界に飛び込んだ方もいらっしゃるんじゃないかなあと思います。
私は未だきちんと足を踏み入れたことはないけど、いつかきっと触れてみたい。

界隈の古くからのファンの方に何か言われたのか、謝罪のような記事を最後に彼女は突然ネットの世界から姿を消してしまいました。ブログも、インスタも、綺麗になくなってしまって。
誰かの言葉ひとつで(ひとつではなかったのかもしれない)大好きだった世界を見られなくなってしまいました。

🖊️

何かを好きになって、その魅力を不特定多数に向けて発信するって簡単なことじゃないと思っています。
好きの言語化って難しくないですか?私は本当に苦手。
好きなんだけど、それを表現するための語彙力も画力も足りない。
わたしごときが…となってしまって尻込みする人も多いのではないでしょうか。

好きを発信してくれる人って貴重なんです。

私が彼女のように何かフリーペーパーを通して発信できる?って自分に問いかけた時、すぐに「絶対無理!!」って思いました。
誰かの手元に残り続ける媒体で話せることが何もない。思いついたことをnoteで書き連ねてついtt…… Xで呟くのが精一杯。

でも〝かく〟事に憧れてしまうんですよね。ものを描くこと、書くこと。
大昔は漫画家になりたいなんて言ってたっけ。

先日、自分の中に飼っている〝動詞〟はなに?という問いを Xで見かけました。
私にとっての〝かく〟は飼っているではなく憧れ枠かな。でもいつか飼いたい。私の中に生きる動詞になってほしい。
発端となったのはあきやあさみさんのこの記事です。

🖊️

動詞の問いから、自分は何を望むのか?ふわっとしたパズルが出来ようとしているようなしていないような。
あとは、いなくなってしまったけど今もわたしは彼女のファンだよ!と絶対届かないのに発信したくて書きました。

鞄の記事をきっかけにまたnoteを読み、書くようになりました。
久しく文章を書いていなかったので今のうちにリハビリだ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?