無条件の愛の喪失記念日
少5の誕生日はお祝いがなかった。
少し前に登校拒否をしたから。
当時から私はよく学校を休む子供だった。
両親は素行不良だと叱っていた。
見かねた妹が父親に頼んで私へ贈ったプレゼントは毎月買っていた少女漫画雑誌だった。
妹の優しさに触れて、両親の冷たさに絶望した日だった。
その頃から私は誕生日が苦手になった。
それまでは楽しかった誕生日。
ちょっと頑張った料理とケーキを食べられて、嬉し恥ずかしハッピーバースデーを歌って、年に一回プレゼントを貰える日。
それが一気に親の義務のように見えた。
私は無条件に愛されてはいなかったのだと思った。
「いい子にしていれば」いい事がある。
私は悪い子で、愛されていないのだと感じた。
その一件があって、私は学校に毎日行けるようになる訳もなく、自暴自棄のように休みがちになった。
中学生になり、自分では反抗期だと思っていたけれど、今思えば感情は今と変わらない。
私は親からの愛情表現を知らない。
正確に言えば覚えていない。
簡単に言えば毒親だ。
私が大人になってから気まぐれで来ていたお祝いの手紙も破り捨てていたらサッパリ来なくなった。
誕生日に関してもう一つ許せない思い出があって、それは妹の二十歳の誕生日、私の知らないところで母親が妹にネックレスをプレゼントしていたこと。
私の二十歳の誕生日にはそんな洒落た思い出はない。
正直言って、母親からのプレゼント、それも身に付けるものなんて要らない。捨てる。
それでもただただ悲しかった。
あれからいくつも歳をとって、私の誕生日を祝ってくれる人もたくさんできて嬉しい気持ちもあるけれど、やっぱりさみしいよ。
両親に愛されて生きてみたかった。
だけどそれは叶わないことだし、今更もう何もかも遅いんだ。
私はもうかれらの言葉を信じられないから。
毎年この日は思い出すんだ。
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