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Who will break the wall

奈良の山がきれいでした

トイレを燃やした後は、いじめの対象ではなくてとにかく異質な存在になってた。こいつなんか変なやつだ、もう関わるのもいいや、みたいな存在。友達もいないし、学校行っても毎日特に何もない。

中学3年の1年間は授業終わったら塾に通って勉強。ただひたすら真面目に静かにしてた。

で、卒業文集。

授業中に原稿用紙を渡されてその場で書くんだけど、何も出てこない。結局の所、ここにいる人みんな嫌いだ。けど、そんなことを書いてもしょうがない。

しばらく考えて、2行だけ書いて出した。

「中学校3年間で楽しかった思い出は何ひとつありません。

しかし修学旅行で行った奈良の山々がきれいでした。」

修学旅行で行ったのは京都と奈良。考古学が好きで、寺とか自然とかは好きだった。五重塔の後ろの山がすごく綺麗で、その印象がすごく強かった。

それだけ。

班行動でも、ほぼ誰とも喋らない。何か用がある時だけちょっと反応するぐらい。

そもそもクラスメートのこと知らないし、勝手に決められて同じ班になった人のことなんてさらに分からない。最初から最後までずっと一人ぼっち。孤独で、ただ連れ回されてる感じだった。

五重の塔の後ろに山が広がってて、夕日が射してたんだよね。力強くて威厳があるお寺の後ろで、きれいな緑の山が夕日で照らされて、ノスタルジックな、すごい切ない景色だった。

その時の自分と同じだったから余計に感じたのかもしれない。寂しそうな、消えちゃいそうな光の中で、でもそこにいる。

本当は普通に仲良くしたかった。誰か一人でも分かってくれる人が欲しかった。

ずっと一人だった。


何もない

原稿用紙が配られた時は、3年間のことをいろいろ考えた。

悪いことばかりしてきたし嫌な思い出が多かったから、良い思い出を探した。

で、ひとつだけ。奈良の山。

本当に嫌な思い出しか、なかったんだよね。

いざ書こうと決めたら、書くのは早かった。ばっと書いた後に何回も読み返した。ああおれってこういうのしかないんだなと思って、寂しかったね。

ぱって提出して、下向いて帰った。

学校生活が最初から楽しくないものだと思ってる訳ではなくて、楽しみたいとは思ってたんだよね。みんなと一緒に何かしたいなって。自転車でどっか遠く行ったりとか。

何か行事があるたびに、毎回来るんだよね。期待して、ドキドキして、なんか友達とかできちゃうのかな、みたいな気持ちが。けど、誰とも話が合わない。何話しても話が合わない。友達ができない。

小学校の学区で中学行くから、みんなお互い知ってる。中学入った時点で俺だけが転入生。最初からよそ者っていうか、話の中に入れなかった。

「どっから来たの?」「国立です」「くにたちってどこ?」「立川の方の・・」「そこで育ったの?」「育ったのはアメリカの・・」

全然噛み合わない。

アメリカの話しても、サンフランシスコって言ってもわかんないし、向こうで何が流行ってるって話をしてもわかんない。ハロウィンだねって言っても、ハロウィンが何かわかんない。普通にちょっとコミュニケーション取るだけでも、何喋っていいか分からなかった。

この人たちは違う。この人たちはもともと小学校から上がってきた友達同士で、俺は誰も知らない。入りにくいな。

最初に自分から閉ざしてしまって、結局それを3年間引っ張っちゃった。


違くていいんだ

親には卒業文集を見せてない。自分でも一回しか見てない。けど、覚えてる。

他の人はみっちり書いてるから、それを読むんだよね。読んで読んで、俺のとこ来て、ほとんどが空白で2行だけ書いてあって。そこまで来てページを閉じて、それで終わり。

衣装ケースの中に、高校とか大学の思い出のものを上から積み重ねて、一番底の方にしまってある。

高校も最初は憂鬱だった。大丈夫かな、ちゃんとできるかなって思っていた。

でも、新入生歓迎のイベントでやってたバンド演奏を見た瞬間に全てがふっ飛んだんだよね。THE MAD CAPSULE MARKETSのコピーで『マスメディア』っていう曲。

「俺はいつでも無視されお前はいつでも権力者」

「だけどそいつもそろそろ終わりの時が来たようだ」

「俺とお前は最初から頭の作りがまるで違うんだ」

「そんなお前も今日から俺に狂わされてくだけ」

「俺はいつでも無視されお前はいつでも権力者」の最初の音と歌詞が入ってきた瞬間、「これ俺のこと?」って思った。勝手に、何か強くなった気になれた。

内にこもって、ぎゅーって押さえつけられて、言いたいけど言えなくて、中学校3年間過ごした。高校入って、そっか、おれ違うんだって思えた。みんなと同じになりたかったけどなれなくて、この人は自分のことを「俺は違うんだ」って言っていて、自分は「俺は違うんだ」って言えなかったんだ。そっか、そもそも違うんだ。違くていいんだ。

そっからもうずっぷりとハードコアとパンクにハマった。音楽っていう共通の話題で通じる友達ができた。


向き合えていない壁

あとから考えると、中学時代、暗かったんだなあって思う。友達いなかったんだな、自分追い詰められてたのかなって。

今はすごく仲良くなれる人が少しずつ増えてきてる。誰か一人でも仲のいい人が欲しいなって思ってた中学時代と比べて、すごく嬉しいし幸せ。友達とか仲間が少しずつ増えて「ああやっと友達できた」って感じられる。

でも、今でも人見知りは変わっていなくて、初対面の人と正面から向き合ってはいない。音楽とか共通の話題がある人としか付き合わない。初めて会う人とは、どうせ会話続かないし、うわべの付き合いしかできないと思ってる。音楽の話で仲良くなる人以外のことは「どうせ無理」ってほぼ排除してる。

それが僕の「壁」なんだと思う。

個人的には、こんな僕でも理解してくれる人がちょっとずつ増えていて、そういう人と何か一緒に面白いことができるのであれば、自分の間口を無理に広く見せて、人見知りをなくそうとしなくても、十分幸せを手に入れられているからいいかなって思う。

でも、UbdobeっていうNPO団体の長として、もしくは今後国連で働きたいのであれば、いけないだろうなって思ってる。実際、話が合う人としか一緒にやらない、福祉業界の中でフラットな付き合い方ができないことで、NPOの活動の幅を狭めてるんじゃないかって思ったりすることがある。

今すぐには無理かもしれない。

もっと信頼できる仲間が増えたり、その人たちと関わる年数が増えることで、安心できる土台みたいなものがもう少しできたら、チャレンジできると思う。

ついこの前、大阪で開催したとあるイベントの打ち上げで理事メンバーとディスりあった。その中の一人に「お前もっと俺をリスペクトしろよ!」って言われたのが心にガンって響いていて。。。自分ではリスペクトしているつもりでもその表現が足りていないということ。もう35歳だけど、まだまだこの壁は分厚そう。

まー、絶対ぶっ壊すけどね!!!!

ヤーマン!!

(了)

---『another life. × 岡勇樹 〜私ガ社会問題デス(仮)〜』マガジンにて連載してまいります。次回にもぜひご期待くださいませ---

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