#47 戦前に殺害された総理大臣

2022年の安倍元総理の殺害事件はとてつもない衝撃だった。
現代の日本で、総理大臣経験者が殺害されるというのは未曽有の事件だったからだ。しかし、戦前の日本では6名の総理大臣(経験者も含む)が殺害されてしまった。それが、次の6名である。※( )は亡くなった年

①伊藤博文(1909)
初代の内閣総理大臣。岩倉使節団として欧米へ派遣され、大日本帝国憲法作成の中心となる。1906年、初代の韓国統監になるが、辞任後の1909年、満州のハルビン駅で韓国人の民族運動家である安重根によって銃撃され死亡。

②原敬(1921)
1918年、日本ではじめての本格的な政党内閣を組織する。当初は「平民宰相」と呼ばれ国民の人気も高かったが、1921年に国鉄職員だった中岡良一に東京駅で刺殺される。普通選挙法案への反対や財閥寄りの政治を行ったことなどが犯行の原因とされている。現職の総理大臣としてはじめて殺害された人物である。

③浜口雄幸(1931)
1930年、東京駅で右翼活動家の佐郷谷留雄に銃撃される。一命はとりとめたものの、療養のため首相を退任。翌年に死亡した。軍部の反対を押し切って軍縮をすすめるなど、国際協調の外交を行ったことが動機とされている。

④犬養毅(1932)
五・一五事件で海軍の青年将校の一団に首相官邸を襲撃され、銃撃を受けて死亡。政党や財閥中心の政治を否定し、軍部が中心となる政治を行うことが事件の動機。

⑤⑥高橋是清・斎藤実
陸軍の青年将校が中心となって起こした二・二六事件で銃撃され死亡。この時、高橋是清は大蔵大臣、斎藤実は内大臣だった(二人とも首相経験者)。
五・一五事件と二・二六事件の後、日本は軍国主義の道を突き進んでいくことになる。

戦後では、安倍元総理の祖父である岸信介が足を刺されて重傷、55年体制を崩壊させた細川護熙が発砲される(銃弾ははずれ無傷)という事件はあったものの、安倍元総理以外に殺害された首相はいずれも1900年代前半に殺害されている。昨年の事件がいかに重大なことだったのかということがわかる。

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