#88 羽田発の初フライトの乗客は?

現在羽田空港がある場所には、かつて日本飛行学校というパイロットを養成するための学校があった。
日本のライト兄弟とよばれた玉井清太郎、藤一郎兄弟が中心となり1916年に立ち上げた学校で、当初は満足な滑走路もなく、多摩川河口の広大な干潟で飛行訓練を行っていた。
1917年には東京の上空を飛行するという「帝都訪問飛行」を実施し、東京市民に大きな衝撃を与えたが、3回目のフライトの着陸の際に飛行機が墜落。玉井清太郎と同乗していた新聞記者の2名が亡くなってしまう。
その後、高潮による甚大な被害を受けて同地での飛行学校の継続は困難になったが、跡地は後に東京飛行場(現在の羽田空港)として利用されることになる。

1931年に完成した東京飛行場からの初の国際フライトは6人乗りの飛行機で中国の「大連」を目指した。
しかし、当時は飛行機で旅行をする習慣は皆無で、チケットが高価で庶民には手の届かないものだった。そのため、初フライトの乗客は何と虫。6000匹のスズムシとマツムシが大連に運ばれた。

大連は中国の東北部、遼東半島の先端に位置し、不凍港を求めたロシアが1898年に侵入して都市・港湾を開発した。その後、1904年の日露戦争で勝利した日本が大連を占領した。そのため、当時は日本人が多く住んでいた。故郷を離れた日本人に秋の風情を伝えるために秋の風物詩であるスズムシとマツムシが届けられたのである。

参考

https://www.ana.co.jp/travelandlife/article/001887/



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