#155 雲仙普賢岳の火山災害

今から32年前の1991年6月3日、雲仙普賢岳の火砕流によって43人が犠牲となった(3名は行方不明)。

雲仙岳は、島原半島中央部にある20以上の火山の総称で、普賢岳はその中の1つで、合わせて雲仙普賢岳と呼ばれることが多い。

犠牲者の内訳は、報道関係者16人、消防団員12人、一般人6人、タクシー運転手4人、火山研究者3人、警察官2人。噴火の様子を間近で撮影しようとしていた報道関係者(タクシー運転手は報道に同行)と、報道関係者に避難を呼びかけていた警察官・消防団員がほとんどだった。

犠牲者のほとんどは、「定点」とよばれる火口から4㎞ほどのところにある普賢岳が見渡せる場所だった。現在は「火砕流被災遺構」として整備されている。

当時、定点付近は避難勧告が出ており、島原市も報道陣に避難を要請していたが、多くの報道陣はそのまま取材を続けていた。その結果、報道関係者のみでなく、その非難を呼び掛けていた人々も大勢犠牲になったことから、報道関係者は批判を浴び、後の災害報道における安全への配慮が見直されるきっかけとなった。
雲仙普賢岳の火砕流被害は、天災であると同時に「人災」とよばれる所以である。

【目次】

【参考】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?