#15 種子島時堯、世紀のファインプレー

1543年、種子島に漂着したポルトガル人が鉄砲を伝えた。
その時、ポルトガル人から鉄砲を購入したのが島主の種子島時堯(ときたか)である。

この時、時堯は鉄砲を2丁購入した。値段は現在の価値で1億円とも言われているが、それでも鉄砲の価値を見抜いた時堯は2丁購入した。これが世紀のファインプレーである。

問題は2丁目の鉄砲の使い道だ。2丁目の鉄砲は分解して徹底的に研究し、国内で生産することを目指した。鉄砲の研究・製作を命じられた鍛冶職人の八板金兵衛は、娘をポルトガル人に嫁がせて技術を習得し、わずか2年で鉄砲の国産化に成功した。金兵衛は現在種子島で銅像になっている。

後年、日本人に鉄砲を売りつければ大儲けできると考えたポルトガル人は再度日本を訪れたが、大儲けはできなかった。日本では国産の鉄砲が大量に流通していたからである。

同時代の南米インカ帝国は鉄砲の力によってスペインに滅ぼされた。それを考えると日本も一歩間違えれば鉄砲によってヨーロッパの植民地になっていたかもしれない。国産化を目指すために大金をはたいて鉄砲を2丁購入した種子島時堯。教科書ではあまり取り上げられないが、日本の歴史を変えた世紀のファインプレーである。

参考


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