#101「生類憐みの令」は時代を変えた?

生類憐みの令とは、江戸幕府の5代将軍徳川綱吉が制定した法令である。綱吉の統治下で、犬をはじめ生き物を大切にするように発せられた複数の法令をまとめて生類憐みの令と呼んでいる。

俗説によると、徳川綱吉は跡継ぎに恵まれなかったことを僧侶に相談した際、「前世で動物をたくさん殺したため跡継ぎに恵まれない。跡継ぎがほしいなら動物を大切にしなさい」と言われたという。そして、綱吉が戌年(いぬどし)生まれだったので、とくに犬を大事にしたというエピソードが有名である。僧侶が綱吉の生きていた年代の人物ではなかったことから、このエピソードは創作とされているが、綱吉が犬をとくに大事にしていたのは事実である。
江戸の中野・四ツ谷・大久保など、江戸の周辺地域には野良犬を収容する大規模な施設がつくられ、中野周辺にあった施設は東京ドーム20個分の面積があったという。収容された野良犬は10万匹以上、6000人以上が犬の世話のために働いていたようだ。

さらに、生類憐みの令の対象は鳥や蚊、ハエにも拡大し、蚊を殺して流罪になった武士もいた。このような極端な内容に人々は息苦しくなり、幕府財政も圧迫されたことから、生類憐みの令は悪法と言われていた。

しかし、近年では、福祉政策としての一面が評価されている。生き物を大事にした生類憐みの令は、捨て子や病人も保護の対象としていた。当時は貧しい家も多く、捨て子は当たり前だったのである。
さらに、戦いを生業としていた武士にとっては人を殺すのも当たり前、家臣に無礼があったら「手討ち」として殺害することもあった。鎌倉時代以来、武士の鍛錬として行われた流鏑馬・笠懸と並ぶ騎射三物の1つ「犬追物」では、逃げ回る犬を弓矢で射殺した。

このような価値観は、生類憐みの令によって「生き物は殺してはいけない」という価値観へと変化した。半ば無理やりではあったものの、生類憐みの令は人々の命を大切にするという価値観をつくった画期的な法令だったのかもしれない。

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