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【中学入試対策】社会千本ノック Part.1

ちょっとした空き時間に社会科を学べる千本ノック、本日はこちらの3問です。

問題

第1問
岩倉使節団に関して述べた文X・Yの正誤の組み合わせが正しいものを、ア〜エから一つ選びなさい。

X.岩倉使節団は、徴兵令を出し地租改正を実施するなど、国内政治を整えてから出発した。

Y.岩倉使節団は、薩摩出身の大久保利通・西郷隆盛や、長州出身の木戸孝允が加わっていた。

ア. X:正    Y:正
イ. X:正    Y:誤
ウ. X:誤    Y:正
エ. X:誤    Y:誤


第2問
次のA〜Dは、江戸時代から明治時代にかけておこったできごとに関する文です。
A〜Dの文を、年代の古い順にならべたとき、2番目4番目にくるものの組み合わせとして正しいものを、ア〜エから選びなさい。

A.日本とアメリカとの間で、日米修好通商条約が結ばれた。

B.日本とアメリカとの間で、日米和親条約が結ばれた。

C.日本と清との間で、下関条約が結ばれた。

D.日本とロシアとの間で、ポーツマス条約が結ばれた。

ア. 2番目-A    4番目-C
イ. 2番目-A 4番目-D
ウ. 2番目-B 4番目-C
エ. 2番目-B 4番目-D

第3問
次の人物の業績を1つずつ選び、記号で答えなさい。

(1) 渋沢栄一 (2) 津田梅子  (3) 北里柴三郎

ア. 女性が学べる塾を開き、英語教育を重視しておこなった。

イ.伝染病の研究所を設立し、破傷風菌の治療法をみつけた。

ウ.女性の権利を獲得する運動の中心となり、雑誌「青鞜」を創刊した。

エ.日本で初めての銀行設立に関わった。

解答

第1問【2023年江戸川学園取手中入試問題(改題)】

正解:

解説
岩倉使節団は、江戸幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の改正をめざして1871年に欧米に送られた使節団である。(しかし、日本の法律制度の不備などから失敗し、欧米の制度などを視察して帰国した。)

岩倉具視を全権大使として、大久保利通木戸孝允伊藤博文らが使節団に加わる。
津田梅子を含む多くの留学生も同行した。

Xの徴兵令(1873年)や地租改正(1873年)は、岩倉使節団が欧米に送られた後の出来事である。
Yの西郷隆盛は岩倉使節団に加わっていない。

第2問【2023年栄東中入試問題(改題)】

正解:

解説
Aの日米修好通商条約は1858年。江戸幕府の大老井伊直弼(いい なおすけ)がアメリカ合衆国と結んだ条約。函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)の5港を開き、自由な貿易などを認めた。
この条約は領事裁判権(治外法権)を認めて、日本に関税自主権のない不平等条約であった。

Bの日米和親条約は1854年。江戸幕府がアメリカ合衆国との間で結んだ条約。下田函館の2港を開き、入港する船に食料や水、石炭(燃料)を供給することなどを認めた。

Cの下関条約は1895年。山口県下関市で結ばれた日清戦争の講和条約。
清は、朝鮮の独立を認め、遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本にゆずり、賠償金2億両(当時の日本円で約3億1000万円)を支払う事などが決められた。
日本代表 伊藤博文陸奥宗光、清の代表 李鴻章(りこうしょう)

Dのポーツマス条約は1905年。
日露戦争の講和条約である。アメリカ合衆国のポーツマスで結ばれた。
国民は戦費調達のための重税や多くの犠牲にたえて戦争に協力してきたが、賠償金を得られなかったため、各地で講和反対の集会が開かれ、東京では日比谷焼き討ち事件がおこった。

よって、「B→A→C→D」の順になる。

第3問【2023年山脇学園中入試問題(改題)】

正解
(1) 渋沢栄一:
(2) 津田梅子:
(3) 北里柴三郎:

解説
ウの雑誌『青鞜』を創刊したのは平塚らいてう
平塚らいてうは、女性差別からの解放をめざして青鞜社を結成。1920年には市川房枝らと女性の政治参加などを求めて新婦人協会を設立
渋沢栄一津田梅子北里柴三郎は2024年7月からの新紙幣にデザインされる。

渋沢栄一
明治時代の実業家。
第一国立銀行や大阪紡績会社など多くの会社を設立・経営に関わる。

津田梅子
明治・大正時代の教育者。
岩倉使節団に同行し、アメリカ合衆国に留学。
帰国後、女子英学塾(今の津田塾大学)をつくり、女子教育に力をつくした。

北里柴三郎
明治時代から昭和時代の細菌学者。ドイツ留学中に破傷風菌の血清療法を発見。
帰国後、伝染病の予防や治療をおこなう伝染病研究所を設立。

【参考文献】
・『小学高学年 社会 自由自在』(受験研究社)
・『中学社会科用語をひとつひとつわかりやすく。新装版』(学研プラス)



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