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第2話 国旗・国歌強制、そして独裁は進んだ

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 出航三日の夜明け前、暗闇にすぐ目がなれるよう、船室の外の廊下には、赤いライトが一晩中灯っている。船室内には、7人の若き自衛隊員が朝の支度を済ませている。
 5時55分。総員起こしの館内放送が船内に響き渡り、まだ、寝ていた西郷が飛び起きた。他の隊員とは違って、彼は、行き当たりばったりで生活している。今日も、彼一人だけ、この時間まで眠っていた。海上自衛隊の幹部候補生時代の訓練でも、彼はこの放送を目覚ましにしていたので、寝起きは良い。6時までには、支度を整え、デッキの集合時間には間に合った。
 朝の集会が始まった。朝日はすでに登っている。太陽を浴びて、旭日旗がおごそかに掲揚され、国歌斉唱が行われた。
 坂本にとって、防衛大学校時代から毎日日課として行われていたルーティンワークではあるが、この航海においては、特別な意味があった。
 今までは、戦争とは無縁の訓練の一場面でしかなかった。今は、戦地に向かう艦隊のデッキで、国家へ命を捧げる結束を誓う儀式である。今までよりも、自然と国歌斉唱の声が大きくなる。

 (知多郎注:国旗掲揚と国歌。ここで、海上自衛隊の護衛艦のデッキを離れ、筆者 #知多郎 は、私見を述べる。まとまな小説ならそんなのは許されないだろうが、インスタグラムの連載なので、私の自由とさせていただきます。お許しください。公安さんへ、私は国家の敵(注:私は思ってませんが、公安は思ってますよね?)の共産党員ではありません。社会主義者の左翼でもありません。単なる平和主義者です。戦争が嫌いなだけです。お見逃しください。

 日本会議国会議員懇談会の設立者でもある小渕恵三政権の時に、国旗・国歌法案が国会で可決された。強制はしないし、懲罰はないと首相は約束をした。
 筆者 #知多郎 は、我がブログで些細な苦言はしたが、あまり反論をしなかった。(今は後悔している。)

 国旗掲揚は大事である。国歌は大事である。学校でも国旗掲揚と国家斉唱は大事だ。国際試合での君が代斉唱は全力で歌うべきだ。私は唄歌いの端くれとして、君が代を会場にいる誰よりも上手に、大きな声で歌おうといつも心がけている。私のプロフィールのリンク先にあるJapanese song list508番の君が代を聴いていただきたい。
 著者の知多郎の夢の一つは、大きな試合の開会式で国歌=君が代を歌うことである。オファー大歓迎です。

 その愛国一市民の知多郎ではあるが、国歌斉唱を強制されるのなら抵抗する。国旗掲揚では、必ず帽子を取り、ハゲ頭を晒す私ではあるが、それを強制されれば、反感を禁じ得ない。

 当然として、共産党系の教員が中心だろうか、歴史を知る有志が、この国旗国歌強制に反抗をした。勇敢なレジスタンス活動である。
 そして、東京都では、日本会議の重鎮であり、国粋主義者の石原都知事によって、処罰された。国歌斉唱に起立しなかった教員は、再任用の道を閉ざされた。

 彼らの思いは良くわかる。日の丸の下、君が代の下、多くの日本軍人が、無駄に命を断たれた。無念の死を遂げた。その象徴としての日の丸や国歌に反する気持ちもわからない訳ではない。しかし、戦後75年を経た今になって、その思いを日本国民全体に認めてもらえるはずはない、と私は思っている。
 そんな考えの知多郎だが、202X年、日本が対米隷従の戦争に加わった以後の国旗掲揚では起立を拒むだろう。君が代を歌わないかもしれない。私は非国民と糾弾されるのだろうか?

 【追伸:上記の宣言を修正します。そのまま、実行すると、再任用を拒否され、裁判を起こしても、先の判決(=東京での国旗国歌強制訴訟)のように、敗訴は決まっています。あいつらに負けるのは悔しいです。
 ということで、半分だけレジスタンス活動(国旗国歌、不起立・不斉唱=ガンジーの不服従・不抵抗運動=面従腹背)をします。

 勝訴するために、我慢して、半分は、起立して、誰よりも大声で国歌を歌うことにします。安倍政権の踏み絵を踏みます。半分は心労がたたって、急に体調不良で歌えなくなるでしょう。
 ごめんなさい、ヘタレで。家族がいるので、老齢年金がもらえるまでは、賢くレジスタンス活動をします。腹が減っては戦はできませんから。年金がもらえるようになったら、全面的にレジスタンス活動をしますので、お許しください。】
 
 平和を愛する昭和天皇・上皇・現天皇を私は尊敬している。
 しかし、平和を破壊する現政権は大嫌いだ。
 彼らが勝手に始めた戦争には反対する。
 『これを読んでから判断してください。この日が来ることを知っていた私から、何も知らなかったあなた達へのメッセージです。』と、この私小説を差し出すだけだ。訴訟でも資料として提出する。それが、良識ある日本国民としての一分である。

 ナチスの独裁を許してしまったことを後悔する有名な詩がある。ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩だ。『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』で検索できます。
『ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった』

 東京都の共産党教員が再任用を拒否されたとき、私は声を上げなかった。
 国旗・国歌強制の本当の問題を、見て見ぬふりをしてしまった。今は後悔している。

【関連資料】
 国旗・国歌強制のほんとうの問題
http://www.jicl.jp/old/urabe/backnumber/20110203.html

 日本会議は、ナチスの手法を参考にしているようだ。
 日本でも同じような順番で反対派が攻撃され、独裁が進むのだろう。
 国民が大同団結して独裁反対の声を上げないと、戦争への動きは止められない。

 話を202X年に戻そう。