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VR流れ藻(14):Exhibition: The day before the Summer

 2020/10/03、ワールド「Exhibition: The day before the Summer」が公開された。
 「夏が始まる一日前。」とも題されたこのワールドは、「1%の仮想」「アスタリスクの花言葉」等で知られるヨツミフレーム氏の最新作であり、「現在制作中の「PROJECT: SUMMER FLARE」で使用するモデルやギミックの一部を展示するワールド」だという。
 ワールド自体は数部屋の展示室を備えた施設となっており、エントランス周辺のレイアウトなどは「1%の仮想」を彷彿とさせる。さほど規模の大きなものではなく、展示をざっと眺め、一通りの仕掛けを体験するだけであれば30分もかからないかもしれない。行動選択に対するちょっとした反応の違いなどはあるので、幾度か遊んでみるのもよいだろう。
 展示内には不穏な語句や謎めいた言及が多数あり、「PROJECT: SUMMER FLARE」がどのようなものであるのかおぼろげながら窺わせる内容となっている。完成度の高い思わせぶりな予告編という趣であり、今後公開される本編をお楽しみに、といったところだろうか。

 以下にはもう少し個人的な感想を記す。ネタバレを含むためご注意いただきたい。


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 最後に「試験」と記された前日譚的な内容は、おそらく本編の後から見て納得が得られるものなのだろう。あるいはひょっとすると、本編から戻ってきて初めて特定の仕掛けが開く、といった要素も含まれているのかもしれない。「アスタリスクの花言葉」の込み入った仕掛けや、このワールドの用意周到な展示を思えば、これがただの前日譚として使い捨てられるということはあまりなさそうに思える。

 過去作「アスタリスクの花言葉」はどうやら一部の人に強い衝撃を与えたようである。
 「アスタリスク」の公開当初、Twitter等において、提示される謎解きのために参照すべき範囲が提示されていないことに対する批判があったと記憶している。一般的な謎解き系のゲームワールドの多くがワールド内や一般常識の範囲で完結するのとは異なり、特定の映像作品やWeb上の他のサービスの知識がなければ解けない、そしてそのことに対する注釈もない、というのがその趣旨であった。これには「VRCにおける一般常識の範囲とは何であるのか」「ゲームとしてフェアな枠組みの設定とは何なのか」「そもそもこれはゲームではない」といった議論が付随した。
 とはいえ、結局のところ「この作品はそういうものである」という受容がなされた。言い換えるなら「ヨツミフレーム作品には枠組みの制限がない」という認識であり、もっとかみ砕いて言えば「このワールドに入る者は、あらゆる可能性を覚悟せよ」ということである。

 さて、それによって何が起こったか。
 今回、「夏が始まる一日前。」をわたしは「アスタリスク」経験済みの数名のフレンドと共に訪れたが、その際に行動の前提として暗黙のうちに共有されていた認識は冷静に考えてみると異様なものであった。端的にまとめるとこうなる。

 ・あらゆるオブジェクトに仕掛け、あるいは意味があることを疑え。
 ・油断をしてはならない。一度解かれた仕掛けも念入りに確かめよ。
 ・自分の見たものを信じるな。疑いを感じたら、誰かに何が見えているか尋ねろ。

 これらの認識はいずれも過去の経験に基づくが、ほとんど偏執的であり、最後に至ってはスタンド攻撃でも恐れているのかという有り様である。かくして我々は目の前に現れたメッセージを読み合わせ、意味もなくホワイトボードを回転させ、自販機から落ちてきた缶を無闇に射撃するなどしていた。
 こうした行動が他の人々にどの程度共通するのかは不明だが、過去の出来事の帰結としては興味深い。「夏が始まる一日前。」は謎めいた、どことなく薄気味の悪いメッセージで終わりとなるが、自分たちが抱えた認識によって余計に薄気味悪くしているようでもある。

 「PROJECT: SUMMER FLARE」。
 「狂気」、「銀の弾丸」。
 狂気か。狂気ってなんだろう。
 銀の弾丸が狂気を祓うとして、ここに銀の弾丸などないのだけれども。

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