パパの命日⑤

2015年11月に入ると、パパの容態はますます悪くなった。痰が絡むとカニューレが詰まり、呼吸が苦しくなる。パパの下咽頭癌は、とうに気道を塞ぎ、鼻も口も機能をしていない。呼吸は気管に付けたカニューレのみだった。だからそうするとカニューレを外し、洗い、そこから喉の中に管を入れて吸引をして痰を取る。これがとても苦しいらしい。でも、看護師さんを呼ぶのは申し訳ない…だから、お母さんやあたしがやった。

最初、あたしがお世話をするのを、パパは嫌がった。娘に面倒を見てもらうのが嫌だったのか…でも、取ったカニューレを自分で入れることが出来ず、あたしがやってあげた。するとありがとうのアクションをした。それ以降、カニューレの担当になった。あたしが「こうしようか?」と言うと素直に聞いてくれるようになった。パパにしたら諦めたのか…でもあたしは嬉しかった。カニューレから漏れる痰を拭くのも、カニューレを洗うのも、着替えを手伝うのも、口や顔を拭くのも全然嫌じゃなかった

ある日お母さんから電話が来て、パパが吐血したと…あたしが車で病院に行く方が早かったから先に行った。少し遅れてお母さんが来た。パパは静かに横になっていた。先生は「吐血は想定内です。これからも起こります。その度に危なくなります」と言われた。そして今後は食事を無くすと…水分だけ胃ろうから入れますと伝えられた。血のついたパジャマを見て辛くなった。

ある夜、お母さんから電話が来て「パパがトイレに行くのに歩いてて転んだと病院から電話が来た」と言われ病院へ行った。もう立ち上がるのがやっとの体力なのに、看護師さんを呼ばずに自分でトイレに行ったらしい。その日から、パパにはベットに縛られるベストみたいなのを着せられて、オムツをはかされた。

痛みも強くなってきたらしく、自分から薬を入れてくれと…謂わゆるモルヒネだよね。最初は意識が朦朧とするから使いたくないと言ってたけど、もう痛さに勝てないのだろう。それでもあたしたちがいる時は、トイレには自分で行くといい、車椅子に乗せてトイレに連れて行き、2人で支えてトイレに座らせて用を足して、また戻ってくる…ということをしていた。

どうしてもオムツが嫌みたいで、病室のベットの近くに簡易トイレを置いてくれた。でも、そこに座らせるのも、お母さん1人では出来ず、あたしと2人で支えた。パパのオムツもはかせた。もうパパも抵抗も何も無くなっていた。

続く